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ジョークではなくてユーモアで

2015/02/08 18:21 に Sae Goto が投稿   [ 2015/02/08 18:23 に更新しました ]

日本語でも「ま~るく収める」とは、よく言いますが、それは中国語でも同じ。「打圆场打円場:ダー・ユェン・チャン)」、場を丸くするんです。「打」という漢字は、中国語では必ずしも「打つ」という意味ではなく、「する、なす」的なイメージでしょうね。敵対関係やケンカ状態になった二者間の仲裁に入り、円満解決をはかることなんですが、そのプロセスは日中両国で少し違う側面、お国柄が出ているな~と思うことがあります。

 

日本人の「ま~るい解決」は、お茶を濁す、問題の本質から反れる(逃げる?)、若干苦笑い的な解決が多く、一方の中国、いや、多分中国だけでなく、ロシアにも住んでいた私には大陸国の方々に共通なのではと思えるのですが、こちらは仲裁するには結構痛いところにも踏み込んで、言いたいこと言って、最後にすっきり笑える、そんな感じかな…と、思っています。(だからやっぱり、中国では「打って」丸く収めるのかも!?)

 

どちらが良いとか悪いとかの話ではなくて、国際交流に関する討論でもしばしば話題に上がる、「違いを受け止めること」「ユーモアを持つこと」あたりの地盤の違いなんでしょうね。日本では圧倒的多数民族の行動パターンがスタンダードになっていて、集団の中では異質な存在をプラスイメージで捉えない、また、集団の底上げには「護送船団方式」で力を合わせて頑張れる(だから震災が起これば他国が賞賛する結束力を発揮する)。

 

一方の大陸の国では、古くから民族間の争い・解決・共存を繰り返し、異なる生活習慣を持つ人々が同じ大陸にいることが大前提になっている。だから「そんなこと、言わなくても分かっているでしょ?」と日本人なら思えるようなことでも、発信して、ぶつかって、「ま~、違うんだから、仕方ないか。この辺で妥協するか。」と、万国共通の「笑い」で終わる。中国語のWikiのサイトでも「打円場」には「幽黙(“ユーモア”の中国語)が必要とありましたが、日本人の、特に中高年以上の年代は「ユーモア」と「ジョーク」の区別がつかない場合が多いと思います。

 

でもグローバル化、ボーダレス社会を目指す世の中の動きの中で、ユーモアのセンスは本当に大切。私自身の解釈として、ジョークは笑わせることを目的にしているので、職場で多用するのは不謹慎なこと、ユーモアは異なる価値観を越えて「いいね!」「Good idea!」と共感を呼び、そこに笑顔が付随してくるような、オンもオフも兼ね備えておきたい心の余裕、大らかさではないかと思っています。では、今週もそんなユーモアのセンスを磨けるよう、大らかな気持ちで頑張りましょう!


打圆场 [da3 yuan2 chang3]

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