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年の差なんて!

2017/02/27 0:17 に Sae Goto が投稿
 さて、いよいよ二月も終わり。三月というと、学期末、年度末、確定申告と、日本社会はあわただしさの中に、寂しさや感動の混じる時期になります。で、今日のことわざは「忘年之交」。「忘年」というと、日本では「忘年会」を連想しますよね。今回ご紹介するのは「忘年之交(ワン・ニィエン・ジー・ジィアオ)」、年末や年度末の意味ではなく、【年】の差を【忘】れたお付き合い(が、自分を磨く)というお話しです。

 私が小学校の頃でしょうか、塾に行く児童や生徒が増えるようになり、受験戦争が激化、学校仲間・地域仲間より塾仲間が増えた、というような現象が起こりました。その結果、同年代としか遊ばず、上の子は下の子を面倒を見、下の子は上の子の言うことを聞く上下社会の構造が崩れ、社会に出てから上下関係を受け入れられない新入社員が増えた…。そんなことが社会問題化されるようになりました。私は、個人的に小学校から大学まで町の道場や部活で少林寺拳法を習ったり、夏休みには父親が近所の年齢の違う子達と一緒に遊びに連れてくれたので、性別・年代が色々の集団の中で行動する機会には恵まれていたのかもしれません。そういった積み重ねなのか、今でもビジネスやプライベートでも「年代が違うから付き合いにくい」とストレスに感じることもないですし、当社で進めている「ちょっとITプロジェクト」でも、できるだけ色んな年代を集めたい!と意識してまぜこぜにするようにしています。

 そんな自分の行動が、中国のことわざにもあるなんて、ちょっと嬉しいような恥ずかしいような気分。やはり年代の差を通り越して、いや、年代だけでなく、いろんな境遇や生活環境を排除して広くお付き合いすること、深くどっぷりではなく、ひとつの目標について協業し、違う意見を持った人が集まって当然という中で一緒に進むことに慣れていくと、初めは「違う」ことが目についてストレスかもしれませんが、そのうち「違い」が「役割」になり、互いにいい刺激や行動へのエネルギーになるのでは、と考えています。もともと人はひとりひとり違うものですから、違う中でストレスをためずに楽しめる性格になっちゃうことは、強くなることなのかもしれません。

 今でこそ、マイノリティーや外国人の労働者にも目を向けよう!と意識的に言われる時代ですが、意識的に言われないと、人間はどうしても似たものばかりで集まってしまうものです。それは楽かもしれませんが、進歩する、どんな人にも拡大・展開していける、という点では成長性・将来性は望めませんね。心広く、明るく、謙虚にいろんな方と仲良くしていきましょう!

忘年之交 [wang4 nian2 zhi1 jiao1]

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