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ウチなりの解釈『兵法三十六計』 第六計 “声東撃西”(せいとうげきせい)

2014/06/02 23:41 に Sae Goto が投稿

「こっちを攻めるぞ!」というそぶりをし、敵がその声に惑わされて移動した隙に、手薄になった別の箇所を攻める、というフェイント作戦。前回の「無中生有」にしても、その前の「暗度陳倉」にしても、何か本当の目的である攻撃をしかけるために、また有効に成功に導くために、相手の気をそらしたり、相手の兵力を分散・弱体化させる「ジャブ」的な攻撃がありました。これは一般に「陽動作戦」と言われますが、兵法三十六計では、こうやって表と裏を上手く操る作戦が多く見られます。

 

表と裏、というと、どうも腹黒い、ピュアでないイメージが付きまとうのですが、人間ガチンコばかりでは勝てないのは事実。表と裏、というよりも、なにか主従の作戦、と考えた方が良いかもしれませんね。

 

私は幼少のころから大学卒業以降も、合計15年に渡り少林寺拳法を習い、今も道場に通っているのですが、その教えには改めて感動することがあります(この年になったから、気づくことも!)。やはり源は中国にあるからか、どことなく三十六計が底流にあるのか、少林寺拳法の業も、『守主攻従』といって、まず守り、それから攻める、という原理に基づいています。さらに、攻撃をしかけるにも、まず当身(あてみ)といって、倒れるほどではないけれど、一瞬「痛っ!」と瞬いたり、握った手が緩んだりするような小さい攻撃を加えます。これが先ほどの「陽動作戦」で、相手を虚の状態にさせ、次の本当の攻撃に移る、という塩梅です。

 

話はぐーんと飛んで、子育てや社員教育の問題。赤ん坊から人を育てていると、心がどんどん複雑に、時には妬み、時にはひねくれ、「好き」という中身もどんどんバリエーションが加わり、色んな意味で成長していくのが手に取るように分かります。ちょっと言葉が一人前に話せるようになると、「小さい時は素直に『はい』って聞いたのになぁ~」なんて思うこともあるけれど、人は、自分もそうであるように、そんな単純なものではないということですね。そして昨日がそうであっても、今日も同じとは限らない。親や監督者の立場の人間は、成長し変化し続けていく「人」を、手を変え品を変え、表裏、主従の使い分けをしながら、教え諭し、自分も成長しないといけないのだな…と、コラムを書きながら毎度のことながら猛省、猛省。

声东击西 [sheng1 dong1 ji1 xi1]


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