コップの水とバケツの水

Post date: Dec 22, 2014 2:09:58 AM

“给别人一杯水 自己要有一桶水”「他人に一杯の水をあげるには、自分は一杯のバケツの水が必要だ。」とは、よく言ったものです。私は大学卒業後、京都で1年、ロシアのウラジオストクで2年と、合計3年日本語教師をしていました。大学では日本語教育専攻でもなかったので、初年度は日本語教育通信課程の所定の1年分を、猛スピードで勉強して半年で修了しました。そしていざ、教壇に立つと…教えるために得た知識は物凄く沢山あるのですが、生徒さんの母国語、学習意欲や目的、外国語学習歴…などを考えると、あまりに多彩で、日本語教師として私が教えたいことを教室で展開していくことは、非常に無理がありました。学習者側のニーズと能力を確認しながらしか進められないのです。

特に、中国残留孤児のセンターで教壇に立った時はそうでした。当時の厚生省(今の厚生労働省)から、各地域の中国帰国者自立研修センターに指標として掲げられていたレベルにまで限られた時間でプログラムを消化する(孤児の皆さんやその家族の方々に体得してもらう)のは、一部の方には易しく、一部の方、特に幼少期から農村仕事が忙しく、学校も行けず、文字も知らない方々にとっては、並大抵のことではありませんでした。それでも日本入国日から起算して同じ日本滞在歴の方を、同じ教室に入れて1時間過ごすのは、皆が苦痛だったと思います。それで教師の方に知識も経験もそして気持ちの余裕もなければ、誰も満足感を得ることができません。

ところが、ロシアに渡り、民間学校で教えた始めた時。その日本語吸収への意欲は、社会主義崩壊の勢い同様非常に強く、教科書以上のものを学ぼう、生の日本人である私と、できるだけ話す機会を掴もうとするエネルギーを嬉しく思う反面、大学卒業直後から教師になった社会人としての経験の無さを不安に思い、何でも良いから必死で読み、情報を得ることで気持ちを落ち着かせていました。それでもやはり、自分は日本での社会経験のない薄っぺらい教師のような気がして、二年で帰国して会社員になることにしたのです。

時は過ぎ…今に至る訳ですが、教師でない今でも、コンサルタントという立場でも同じことが言えると思います。診断士試験のために勉強したことは膨大な情報量ですが、一時のテストで合格ラインを越えたことで慢心していてはいけない、ということです。所詮何かを教えるために、あるいは経営の問題点と改善提案を伝える時間はほんの一時です。その一時で「自分の知っているすべてを吐き出す」のではなく、相手が一を聞いて十を知れるような、一を聞いて十質問してきても大丈夫なような、アウトプットの方法を磨くことと、差し出す一杯の水をより濃くし、自分が持つバケツの部分を常に更新&蓄積する努力を惜しまないことなんだと思います。

と、いうことで、今年のコラムはここでおしまい。来年も事業に活きる、ことばの技、事(こと)業(わざ)&ことわざ、自分に言い聞かせる目的半分(以上!?)で書いてみようと思います。

みなさま、どうか良いお年を。祝你们新年愉快, 身体健康, 全家幸福!!

给别人一杯水 自己要有一桶水

[gei3 bie2 ren2 yi4 bei1 shui3 zi4 ji3 yao4 you3 yi4 tong3 shui3]