ウチなりの解釈『兵法三十六計』 第三計“借刀殺人”(しゃくとうさつじん)

Post date: Jun 23, 2014 5:59:50 AM

「刀を借りて人を殺す」とは、物騒な言葉ですね。要は他人や敵の力を使って、自分は労せずして敵を倒すことです。兵法三十六計の基本は、戦わずして勝つことですから、「借刀殺人」は、その最たるものともいえます。ただ、後半の文字二つが余りに恐ろしい言葉なので、(私もあまり繰り返して書きたくない…)酷い戦略のように思えてしまいますね。今回はこの「戦略」の現代版例を二つほど挙げてみたいと思います。

一つは、日本人はこの戦略が不得手で、防御も得意でない?という例です。中国に居る時は、何か失敗をした(と思われる)人を問いただしたり、事実を確かめようとしたりすると、必ずといってよい程「いや、誰々が…」と、他者をやり玉に挙げたり、決して「ごめんなさい」と言わなかったり。自分を防御するパワーが、穏やかな島国の人間とは雲泥の差、ということをよく感じる場面です。これは批判しているのではなくて、歴史や文化の流れから培われた民族性の違いなんだと思います。一方の日本、最近「オレオレ詐欺」への注意を喚起する呼びかけが一層強くなっていますが、これも犯人が第三者になりすまして攻撃をしかけてきたとき、「和を以て尊し」とする、この国の風土ではつい信じてしまう、その考え方の虚を突いた「この作戦」の結果なのかなぁ、と思ってしまいます。

もう一つは「人を使うことも技術である」ということ。上記はあまり良い攻撃の話ではありませんでしたが、今度は企業の人材育成でも家庭の子育てでも当てはまることだと思います。新入社員や子供に何かを教えるとき、初めはじれったくて、手伝ってほしいけど自分の想った通りにならない。ならば「ええい!もう自分でやってしまおう!」と、「他人を教育する、鍛える、使う」ということをしないと、結局自分のところに全て仕事が溜まってしまいます。また自分をステップアップする余裕も生まれませんし、組織も大きく成長することもないでしょう。自分が苦労してやってきたことでも、少しずつキャッチ&リリースで後進に時間をかけて伝えていく。人の力を借りて、良い方向に使うこととは、力を借りる人をしっかり育てる、ということでもありますよね。

そうそう、家事分担をしてもらおうと、夫に頼むときも、初めから全部できる・自分と同じようにしてもらえると期待しないで、時間をかけてレベルアップを図ってもらう…というのも大事かもしれません。日本人はやっぱり、この作戦が得意ではない!?

借刀杀人 [jie4 dao1 sha1 ren2]