【ごとうさえの言技(ことわざ)×事業(ことわざ)】

#1~#100

100.どちらにとってもHappyで。

2016/11/28 22:01 に Sae Goto が投稿

コンサルティングを行う時に、いろいろ注意するポイントはありますが、一番は「ひとりよがり」にならないことだと考えています。クライアントさんがご存じでない知識、気づいておられないポイントをピックアップしたり、説明したり、ということはコンサルタントだからできることではありますが、その後のアドバイスや知識の受け入れ方、改善方法などの実行の仕方については、相手の事情を十分、いや、十二分にくみ取って引っ張っていくなり、背中を押すなりしないと…と、私たちのコンサル・サービスへの満足度が下がってしまいます。私も初めは、「そんなに一杯話されても、全部消化できない!」とクライアント企業さまに、お叱りをいただいたことがあります。

大体コンサルタントでお節介で「なく」て、口数も少ない人は余りいないと思います。大部分が自分が経験してきたことや得た知識を、他人にも有効活用してほしい、というパターンで(そして私もそうです)、他人の役に立つことで自分も満足したい、と願っています。もちろん、仕事に生きがいを感じるのは良いことだと思うのですが、こと、コンサルタントに限って言えば、いつも私は経営コンサルタントの「先生」ではなくて、コンサルティングサービスの「プロバイダー」でありたいと心がけています。また、頭と口だけでなく、本当に手や足といった労働もつぎこむことで、「トレーナー」「サポーター」の役目も果たせれば、よりサービスに厚みがでると考えています。ほかの商品を作る人、サービスを提供する人が「より良い品・サービス」を目指すのと同じように。

ビジネスの世界なので、誰もそれをタダで買おうとは思いません。ただそれが、プロフェッショナルのレベルに達していて、食べておいしいと思えたり、疲れているという気持ちが癒えたり、壊れたものが治ったり…と、何か対価を支払うに値する満足を顧客が得ていることが大前提です。「経営コンサルタントなんて、相談役にお金を払う企業なんて、ほんの一握り」などというグチも良く聞きます。「靴を履かない国だから靴が売れる!」と市場創造をするのか、「靴のない国だから靴は売れない」と、別の市場を目指すのかは自分次第。確かに日本はマーケティングやコンサルティングにお金を使う、ということは余り普及していないかもしれません。でもそこはパイオニア精神で顧客のニーズを徹底追及していって良いのではないかと思っています。そうすれば中国語の成語、「両全其美(リャン・チュエン・チー・メイ)」、顧客側もプロバイダー側も、ともに満足というような双方にとってハッピーな状態が創出できるんだと思います。そう、いつも自分と同じように相手を見ることを、忘れないでいたい…ですね。

两全其美 [liang3 quan2 qi2 mei3]

99.雪の日には

2016/11/21 13:15 に Sae Goto が投稿

今日は、某協会さんのセミナーにお呼びいただき、講演させていただきます。タイトルは「現場に見る中小企業の国際化支援」について。診断士を対象に講演させていただいたことは何度かありますが、全く違う団体にお呼びいただくのは初めてです。ちょっと今までにない緊張感はありますが、同協会さんが必要とされる情報やポイントをしっかりおさえられるよう、頑張りたいと思います。


セミナーも、経営「支援」の仕事も、相手のニーズに合わせることが大事ですよね。総じて経営コンサルタントは「支援」の面が表に出すぎて、サービスプロバイダーである、という意識が一般的に薄くなりがち。(実は私もなりたての頃は「情報が多すぎて理解できない」と言われたことがあります。)逆に、正義感が強すぎて、ボランティアばかりになってしまい、事業として成り立たないということも、ちょくちょく耳にします。どんな仕事でも業種でも、最終的には「人の役に立つ・人々に必要とされる」商品やサービスを提供することが、価値を決定しますよね。コンサルティングをしていると「この業界は特殊だから」というセリフをよく聞きますが、確かに業界慣習、業界の構成など、ユニークなこともあるでしょう。でも、どんな業界でも経済活動の中では最終的には「どれだけ“良く”他人の役に立てるか」が評価され、対価が支払われるのです。


では、何に気を付けることが必要なんでしょうか?それは…別に私の考えではなく、普遍的なセオリーだとは思いますが、どんな商品でも、ターゲット市場を定めたら、そのニーズを正確に把握することが何より大切ですよね。もちろん、今あるニーズということもあるでしょうし、今は想像もつかないことだけど、その商品を世の中に送り出したら初めてその必要性を感じてもらえるニーズもあるでしょう。いずれにしても、相手に「ほしい!」と思っていただける商品でないと、売れないのです。もっと言うと、相手が「ほしい!」と思った瞬間に提供できる体制にしておかないと売れないのです。「これを作ったから売りたい」「これが得意だからそれを生かしたい」というのは、自分の希望であって、対価を支払う側の希望ではないのです。


「雪中送炭(シュエ・チョン・ソン・タン):雪の降る中では、炭を送る」、寒く雪が降る日には、暖を取るための炭を送る、急場を助ける。相手が必要な時に、必要なものを送る、ということですが、経済活動という、なんとなく事務的でクールな世界のような話であっても、結局担当しているのは人間。人の心やキモチを読み取って、それに応える「人間力」が大切、ということですよね!今週も人間力、鍛えましょう!


雪中送炭 [xue3 zhong1 song4 tan4]

98.何を初期投資するか

2016/11/14 17:19 に Sae Goto が投稿

そもそも私が中小企業診断士を目指したのは、一人目出産後のことでした。大学卒業位迄は、芸術とか文化交流には興味がありましたが、法律や経済・経営等、自分には全く関係のないことだと思っていました。ですが大卒後、3年間の日本語教師生活にピリオドを打つ時、やはり社会経験が必要と痛感し、商社やITベンチャーの会社員になることにより、今まで関係ないと思っていた分野をがっつり勉強することになりました。

特に商社時代は「在庫」管理の面倒さに辟易したものです。(当時は今ほどITも発達していませんでした!)そこから在庫のないITベンチャーに転職したはずが、その会社の新規事業部長として、Eコマースを始めることになってしまいます。それは、皆広告業出身者ばかりで、商社出身の私が適任、と思われたからなのですが…。

そんな経験をしていたので独立する際、「在庫管理の面倒さ」も「重いバランスシート」も無く、初期投資も少ない(と、思い込んでいた)コンサルティング事業は、産後休暇から子育て中で収入も減っていた私には非常に嬉しく、手軽に始められる、存在でした。「でした」と書く、ということは、その反対の状態になっている、ということなんですが、結果的に、確かに大きな初期投資もせずに開業はできているかもしれませんが、何も投資せずにすぐに事業化できるものもない、ということも同時に実感しました。

もちろん、専門家登録もできました。中国関連ビジネスも始められました。でも、海外に渡る前は旧姓で、会社員をしていた私にはお客様もなく、日本の最新情報もなく、今の名前では「初めまして」の人ばかり。結局、公的支援ルールの枠内で活動するか、民間ビジネス支援にしても、結局は「支援」であり、自分で意思決定して進めて行くことはできませんでした。継続的な「自分の」あるいは「自社の」案件を作り上げていくには、まず何か、時間でも自分の労働でも投資をして、基本的な人間関係や信頼関係を築かないと、その上に案件が流れてこない、ということを思い知らされたわけです。

日本語でも「損して得取れ」という諺があるとおり、中国語でも「喫虧是福(繁体字:チー・クイ・シー・フー)」損せぬものは儲け無し(損することは福である)、と言われます。コンサルティングの中で、社長に対して「腹をくくって!」なんて偉そうに言いますが、結局自分もそうしないと、お客さんは継続的についてこない。そういうことですよね。資材や固定資産で投資することがない分、動き回り、実物を見て、感じて…という経験を積み上げる投資を、これからどんどんしていきたいと思います。

吃亏是福 [chi1 kui1 shi4 fu2]

97.そんな揚げパンに

2016/11/07 21:08 に Sae Goto が投稿

20代のころは、30代になるということが信じられなくて、いつまでも若い自分が続くんだと思っていました。また、20代の私は一人でロシアに旅立って2年滞在したり(日本語教師をしていました)、東京に出てきて働いたりと、なんでも自分でできる気持ちになっていて、今から思うとホント、恥ずかしいくらいです。

30代になって、結婚・出産をし、当時会社員だった私は産後職場復帰するのが怖いと思いました。それは、20代独身の時に、育児のために定時よりも早く帰る女性社員や、どんなに忙しくても契約社員だからと時間通りに退社する人たちに対し「こんなに忙しい時に、信じられない!」という表情を露骨にしていた(と思われる)ので、私も今度はそんな視線を向けられる側になる!!と考えたからです。ところが、実際は全く違いました。20代の若手社員、当時の私からすると後輩や部下に当たるような人たちは、私の子供のことを心配してくれたり、私が一人早く帰っても笑顔で挨拶してくれたりしたので、こんな親切にされるなんて、と正直拍子抜けでした。その頃からでしょうか。自分よりも年齢が上ということは、その分自分の知らない世界を経験されてきている方なんだ、という風に心から思えるようになったのは。

若さは確かに武器です。心身ともに充実してエネルギーに満ち溢れ、なんでもすっと覚えられるし、フットワークも軽々と行動できます。もちろん、お肌だってハリもあり、若いだけで美しい!って思えてしまいます。だからそれが実力と過信してしまうのも若さなんでしょうね。イレギュラーに出くわした時の解決方策、それに立ち向かう時の心構え、そして他人へのいたわりの気持ち。こういったことは、経験の乏しさから勢いや若さだけでは乗り越えられず、くじけたり耐えられなくなってしまったりもします。

中国語、それも北方の言葉のようですが、「老油条(ラオ・ヨウ・ティアオ)」とは、揚げパンさん?とでも訳すのでしょうか?経験のある人のことを形容します。「老(ラオ)」の訳し方に迷いますが、年上の人に対する「~さん」のような意味もあり、「いつもの」とか「古い、大きい、経験のある、年老いた」のような、比較的日本語の「老」に当たる意味もあります。が、この場合は「油条(ヨウ・ティアオ)」という中国の伝統的朝ごはん、お粥と共に食べる、日本でいう、お揚げの小麦粉版みたいな揚げパンに冠しているのですから、いつものお粥に味を深める役目をする、いつもの、絶大なる信用力を誇るこの食べ物!みたいなイメージなんでしょうか。いつまでも新鮮で素直な気持ちを持ちながら、信用され、頼りになる揚げパンになれますように。


老油条 [lao3 you2 tiao2 ]

96.ごちゃごちゃ言う猫

2016/10/31 22:09 に Sae Goto が投稿

自分のスキルアップを目指す割に、集中して自分と向き合うのは難しくて、どうしても視線は自分以外に向いてしまうもの。(そして、自分が上手くいかないと、「私はあの人とは違うから」と、勝手解釈をしたりして…)また、子供たちが、他のご家庭のことを羨ましそうに話すと、「他人は他人、うちはうち。」と言って、他人のことは気にしないように促したりする割には、自分の家庭でのオリジナリティーを創造したり、肯定したり、ということも案外少ないもの。黙って精進すればいいのに、どうしても「ごちゃごちゃ」言ってしまうのが、人間の弱いところなのかもしれません。

経営コンサルタントの私も、「他人の会社」に対して助言し、その助言の先に意識や行動を変えてもらい、業績向上を実現頂くことがお仕事ではありますが、その「助言」が「ごちゃごちゃ言う」にならないよう、かなり自分でも気にしています。というのも、クライアントさんには注意するけど、自分はその注意を守っていない、なんてことは実に簡単にできてしまうことですし、それがクライアントさんの目に留まったときは、今までの信頼関係も崩れてしまうことについて危険を感じているからです。

前者の「他人には注意するけど、自分は守らない」こと、実は家庭でも子供たちに指摘されて凹むことがあります。子供が「ごめん、ごめん。」というと、「ごめんなさいでしょ!」というのに、自分は「ごめん、ごめん。」と発してしまうんです。これは子供にとっては「だから大人は信用できない!」に繫がる原因。子育てと経営コンサルは本当に相通じることろが多くて、毎日毎日、家庭内でトレーニングをしている気分です。

では、どうすれば子供たちやクライアントさんに聞く耳を持ってもらえるでしょうか?行動にまでリンクしてもらえるでしょうか?それはまず、自分がとにかく先に行動することにあると思います。いや、それしかないと思います。言われなくても、また自分がやっていても主張することなく、まず自分が信じたこと、やると決めたことは黙々とやる。中国語の「好叫的猫不捕鼠(ハオ・ジィアオ・ダ・マオ・ブー・ブー・シュ)」…よく鳴く猫は、鼠を捕まえられない、という言葉にもあるように、「ごちゃごちゃ」言っているだけの人は、行動もできない、ということです。そうならないように、まず行動!まず行動できるように、まず健康!!今週も元気に行動していきましょう!!

好叫的猫不补鼠 [hao3 jiao4 de mao1 bu4 bu3 shu3 ]

95.思い通りには…

2016/10/24 20:31 に Sae Goto が投稿

ありがたいことに、新規のお仕事依頼をいただく数もバリエーションも増えてまいりました。ここは自分自身の時間&仕事マネージメント、パートナーやサポーターとのシェア、リードする際の説明・教育そして管理の力を鍛える格好の機会と嬉しく感じております。ですが…「何事もなければ」できるはずの予定を組んでいるつもりでも、世の中そんな時に限って、「何か」が起こるんですよね…。おまけに、仕事だけでなく、家庭や地域と、異なる組織に参画していると、それぞれが忙しい時期というのは重なってしまうもの。さらにアクシデントなど起ころうものなら、もうカオスです。

先週末もそうでした。私自身もいつもお仕事でお世話になる方のお手伝いで一日外出、そして同じ日に子供たちもお稽古ごとの試合で朝から夕方まで。なんとか夫が引率してはくれましたが、お弁当が三人分必要。しかも晩御飯は外で…とはいかず、帰宅して「日本シリーズを見ながら食べるんだ!」とのリクエストから、買ってくるにしても自分で作るにしても、「考えて支度すること」が必要。一日自分は外出するのに、三食の段取りが必要でした。なのに!!!!!

朝から台所の床が濡れているのは何?私がこぼしてしまった?と何度もぞうきんで拭いているのに、すぐ水浸し。おかしいな…と排水パイプをたどっていくと…一か所、ジョイントのねじが緩んでいるではありませんか!!もうシンク下の物入れに入っていた食品や調味料も水浸しです。まずはそれらを取り出して拭き、ゆるんだパイプの下にバケツを置きながら、食事の支度のキリのいいところまでなんとか済ませました。家族たちも諸々協力しれたので、精神的な平穏は保てましたが、やはり緊張している時の感情はコントロールが難しいですね!!ふぅ、深呼吸、深呼吸。

本当に、なかなかうまくいかないものです。一夜明けて月曜朝に業者さんを予約することができました。中国語でも「不如意事常八九(ブー・ルー・イー・シー・チャン・バー・ジィウ)」思った通りにならないことというのは、十中八九、しょっちゅうあることだ、人生大体、思った通りにいかないものだ、そういうことですね。大事なのは、だから何も計画や準備をしないのではなく、そんな時にも柔軟に対応できるような、物事の進め方、コミュニケーションの取り方、そして何よりも、自分の精神を穏やかにいつも笑顔でいられる強さを得るために、日々鍛えていくことなんでしょうね。今週も何が起こるかわかりません。うまくいかないことは十中八九と開き直って、どーんと楽しんで行きましょう!!


不如意事常八九 [bu4 ru2 yi4 shi4 chang2 ba1 jiu3 ]

94.「分からない」と発信しよう

2016/10/17 16:31 に Sae Goto が投稿

「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」と言いますが、先生と呼ばれるような立場であっても、常に変わり続ける世の中にあっては、永遠に100点満点ではいられません。常に分からないこと、新しいことにぶち当たるものですよね。そんな時は、下手にごまかしたり知ったかぶりをしないで、素直に聞いた方が自分もすっきりしますし、相手に対しても良い印象を与えます。相手が経営者となると、もちろん若い方もおられますが、多くは年配の方で、年齢でいうと私よりも人生の先輩ばかり。教えていただくことはこちらも多くあります。ですから、結構素直に知らないことは「知らない」と言えるのですが、これが相手が自分より年下の人にも同じように言えるでしょうか?

どんなにダイバーシティだ、自由だ、多様性だといっても、悲しいかな、人は話をするとき、相手はどんな人間なのか、話を進める上でその人のプロフィールをインプットしたがります。しかも、絶対的な項目よりも自分を基準として上か下か、という物差しが身近で分かりやすいので、すぐに持ち出してしまいます。ですので、年齢、知識、専門性などで自分よりも上の方には敬意を払えても、下(と思われる段階)の方には、なんとなく質問することさえ躊躇われてしまうのでしょう。

実は、この「できない、分からない、助けて」と誰にでも発信すること、これは今後広がるであろうリモートワークの成功の鍵のように私は思っています。見た目で年上・年下と判断して、話を進めていた今までとは違い、オンラインで相手とやりとりをするとき、「ここで質問したり、できないと言ったら、見えない相手の人たちに私はどう思われるだろう…」という不安がよぎります。当社でも、今、リモートワークでパートナーのコンサルタントさん達と、もろもろのやりとりをしています。社員として雇用している訳ではないので、少し緩い感じのつながりなのですが、強制力がない分、コミュニケーション力で活性化状態を保つしかありません。しかし、皆ができることだけを言い、できないことや不安なことを胸にしまったままでは、問題の認識や歩調を合わせることも難しくなります。人生も仕事も山あり谷あり、谷の部分の共有も必要なのです。

「不恥下問(ブー・チー・シャー・ウェン)」、下の者に聞くことを恥じない、という意味の中国語のことわざですが、インターネット出現のずいぶん前からある格言、どんなに世の中が変わろうとも、人と人との関係や接し方の基本は決して変わることがない、ということなのでしょうか。今週も素直な心で全てに全力投球しましょう!

不耻下问 [bu4 chi3 xia4 wen4]

93.見た目7割、中身3割!!

2016/10/03 16:41 に Sae Goto が投稿

人間は見た目じゃなくて中身だよ、と、中身磨きを続け、切磋琢磨の毎日なのに、見た目の良さで負けてしまうこと…ありますね。私は人事部に配属されたことがありませんが、人を採用する立場で、まず書面で選考するとき、顔写真しかないのだからその印象は大きいものなんだろうな、と、割と簡単に想像できてしまいますよね。(後に能力や内面のギャップが分かったとしても…)じゃあ、もう外見磨きに集中すればいいじゃない、中身はそこそこで…となるでしょうか?やっぱりそうではないと思います。では、外見で採用して、後から失敗だったという経験を、ほとんどの人は何度か繰り返しているはずなのに、やっぱりまた、外見で判断してしまうのは何故なんでしょうか。中国語の諺でも「三分人才 七分打扮(サン・フェン・レン・ツァイ・チー・フェン・ダー・バン)」、3割は人柄で7割は見た目や身なり、というのがあるほどです。

それは…人間の判断が、ものすごくスピードを要求するものだから、なのかな?と思います。

人は、毎日いろんな判断をして生活しています。買い物に行ったら、並んでいる果物をみてどれが新鮮でおいしそうか選ぼうとします。同じようなら安いのはどれかも見ます。手に取ったりしていると、マナーの問題もあったり、時間もかかりすぎて本来買いたいものが買えなくなってしまうので、まず見た目に入ってくる情報で「買う・買わない」を判断します。お昼ご飯を食べるのに、同じようなレストランが並んでいたら、本当はおいしいものを食べておなか一杯になりたいんですが、まず食べてみるわけにはいかないので、おいしそうなメニューの写真が張り出してあったり、おしゃれな雰囲気や清潔なイメージがある方を視覚でとらえて判断します。果たして、その通りだと満足し、ギャップがあったりすると不満がさく裂します。

結局は食べてみて、買ってみて、付き合ってみて、働いてみて、その良さがじわじわわかるものなのに、初めの入り口は大抵視覚情報。きっと視覚からだとその先のイメージが膨らませやすいのと、多くの場合視覚情報と中身に関連性がある、というデータがあるからなんでしょう。だから…本当に良い中身を持っているなら、「適当な」PRが必要なんですよね。「こんなに良いこと言っているのに、分かってくれないの?」と、他人を批判するのではなくて、分かるような表現をしていないのが問題なのでは?と、自分を顧みてみましょう。できることなら、その良さを早く、的確に分かってもらった方が、自分のためですもんね。さて、どんな工夫をしましょうか。

三分人才 七分打扮 [san1 fen1 ren2 cai2 qi1 fen1 da3 ban]


92.体力でなく、知力で

2016/09/26 21:27 に Sae Goto が投稿

日本では起業3年半ですが、中小企業診断士の資格取得、海外独立から数えると、もう8年を越えました。初めは「コンサルタント」とは、何かお悩みを解決する、役立つ話をすることが、その役目だとぼんやり考えていました。一方で、そんなお話だけでお金をいただく価値があるんだろうか?それよりも一緒にビジネスを作ったほうが喜ばれるんじゃないか?と、企業さんとの共生の道を探ってみたりもしました。もちろん、上から目線での話だけでなく、「一緒にやる」姿勢は、それなりに企業さまとの距離を縮めるのに役立ったとは思いますが、残念なことに「サポートする」ということを主体に考えると、「コンサルタント事業者」としては事業をコントロールできず、自分のペースで推し進める、ということに限界を感じたりもしたものです。

こうして経験を積むうちに、「コンサルタント」の仕事の意味について、少しずつイメージがわいてきました。ビジネスを一緒に作ったり、経営のお悩み事の解決をお手伝いする、という直接的で短期間で解決できる問題対処だけではなく、長期的に、自分たちの力で成長したり、問題解決ができる「体質」、「企業文化」を創るお手伝いをする、ということです。もちろん、資金繰りの問題が急務の場合は、外科的な対処も必要でしょうが、やはり問題ある場合というのは、俗にいう「コミュニケーション」が十分でない、整備されていない、管理体制が脆弱である、といったケースが殆どで、それも結構分かっていながらそのままやり過ごしてきているので、時間をかけて文化の立て直しが求められるのです。そして、文化さえ入れ替わったら、皆、また目を輝かせて業務に向かってくださるようになります。

子供もそうです。「危ない!」という時は、大声で叱らないとすぐに危険から離れないでしょう。でも、いつも大声で怒鳴っていては、落ち着きもなくなり、他人にも優しくする心の余裕がある人間には育たないと思うのです。家庭内も、会社内も、やはり文化が大切。強硬に力でねじ伏せるのではなく、話し合って、納得させて、時には時間をかけたりしながら積み上げていくのが本当に賢いやりかたなんだと思います。本日のことわざ、「只可智取、不可力敵(ジー・クー・ジー・チュイー、ブー・クー・リー・ディー)」力でねじ伏せて勝利を得るのではなく、知恵を使って勝利をつかめ、ということ。経営状況が改善された企業さんでは、スタッフさんのお顔がとても明るくなります。意外にも「結構当たり前だよね」ということから初めて、それを継続されていることで「勝利」を掴まれているようです。私たちも、体力は年齢と共に落ちていきます。知的に・素敵に成長していきたいですね。

只可智取,不可力敌 [zhi3 ke3 zhi4 qu3,bu4 ke3 li4 di2]

91.連休に想う「働く」こと

2016/09/19 11:50 に Sae Goto が投稿

三連休最終日ですね。月曜日の休日、コラムを書こうかどうしようか、迷いましたが「やるかやらないか、迷ったときは『やる』ことにしよう」という勝手な自分の決まり(要は「休みたい」と思ったときは「休む」んです!)により、書くことにしました。せっかくなので、お休みに少~し、関係のあることを。

「働き方改革」が求められる時代ではありますが、「働く」って、なんでしょう?必ずしもお金を得るためのことだけではないですよね。家庭内労働というものがあるかぎり、こちらの「働く」も軽減したり便利になったりはしても、存在し続けます。すると、家の外から家庭内に資金をもたらす経済活動としての「働く」、家の中が平和に清潔に保たれるための「働く」のバランスがとても大事になってきます。

何が言いたいかと言いますと…ほとんど自分に言い聞かせるようにこれを書いているんですが、

「三連休だから、子供をどこかに遊びに連れて行ってやりたい」

「三連休で取引先がお休みの間に、たまった事務仕事をしたい」

「三連休の間に、アイロンや買い出しなど、たまった家事を終えたい」

と、これら種類の違ういろんな「働く」をこなさないといけなくなります。もちろん、一番目は「働く」という側面では「家族サービス」だけど、せっかく参加しても自分がしかめっ面ならサービスにならないから、サービスを提供しながら自分も楽しまないといけませんよね。こうやってそれなりに疲れて帰ってきても、二番目、三番目は、何とか終わらせたい!!そんな気持ちに押しつぶされそうになり…そんな「お友達」がおられることを、少し期待しています。

そんな時こそ、「じゃあ、やれることだけやって、やれないことは諦める」と、スパッとキモチを割り切るか、または「うだうだ考えていないで、できることを一つ一つ、終えていこう!」このどちらかでセルフ・コントロール!!そうすれば明るく過ごせそうですね。では、中国語の類似表現のご紹介です。「小車不倒只管推(シャオ・チャー・ブー・ダオ・ジー・グワン・トゥイ)」手押し車(小車)は倒れない限り、ただひたすら推すだけ。やれることを一つでも多く、積み上げましょうか。ぼちぼちと。もちろん、推し続けるためにも、ぼちぼち良い休息もとりながら。

小车不倒只管推 [xiao3 che1 bu4 dao3 zhi3 guan3 tui1]

90.大きく、そして小さく

2016/09/12 9:31 に Sae Goto が投稿

ここ数か月のコンサル・ワークで、あちこちの企業さんから結果が出ていること、継続して取り組んだら改善が見られたこと等のご連絡が続き、非常に嬉しくて幸せな気分でいっぱいになります。が、その反面、自分でも経営改善のセオリーは分かっているつもりなので、弊社事業に諸々取り組み、実際やってみようとすると、そう簡単に動くものではないことを思い知らされるのも現実。毎日、毎月、家族や従業員を抱えて会社を経営される社長様は、とにかく凄い!と、実感する毎日です。

では、どういうことをしたら、結果が出たり改善できたりしたのか、というと、極々普通のやるべきことの繰り返しによって得られた、というケースが殆どです。やはり現状を把握・整理し、今後はどういう大きな目標の下、何を基準に・誰の何のためにサービスや商品を提供するのか、どうやってプロジェクトを推進して管理していくのか、などなど、理念や目標の共有化は、会社の中で定期的に行う「べき」ことですよね。ただ…人というものは弱いもの、「こうすべき」理想や理念は理解しているのですが、そうはいっても、と、例外や予期しないことが方々で起こると、その解決に奔走してしまい、それでなんとなく忙しくて安心し、ふたを開けてみると…儲かってなかった、ということになってしまうんですね。多くの場合。

よし、それなら、と、多くの日本人・日本企業は、あらかじめものすごい勢いで、微に入り細にわたって計画を立てます。よく日本企業に協業しようとする中国企業が、「どんなことがあっても、状況が不利に働くように変化しても、日本人は計画を変更しない」と驚くのを聞いたことがありますが、何が起こるか分からない何年先までも、細かい計画を立てるのは、時に愚策であることがあります。では、計画なしで行き当たりばったり?いえいえ、そうではなく、物事を進める方向については、大局的に、大きな夢と目標をもって、それを実現化するためには、できればジャンプして高く飛びたいけど、こつこつゆっくり、確実に進むことなんでしょうね。

大处着眼 小处着手(ダー・チュー・ジュオ・イェン・シィアオ・チュー・ジュオ・ショウ)大局に着眼し、小さいところから手を付ける、と、中国語でもまさにそのもの。小さいことばかりやって、時に進まないことが不安になるときは、一歩下がって大局を見直しましょう。1ミリでも進んでいたら、大局の目的に進んでいる、ということにしましょうか。今週も。

大处着眼 小处着手 [da4 chu4 zhuo2 yan3 xiao3 chu4 zhuo2 shou3]

89.本領を発揮できる一年に

2016/09/05 8:58 に Sae Goto が投稿

9月4日は株式会社チアーマンサポートの設立記念日です。今年でまる3年、新たな4年目が始まりました。「石の上にも三年」と言いますが、この三年間、帰国直後の生活上のゴタゴタ、子育てなどと奮闘しながら、新規顧客開拓や新ビジネスの挑戦を続けて参りました。お陰様で、民間ベースでは経営顧問契約を3件確保、公的支援の専門家派遣も毎週のようにあちこち訪問させていただけるようになり、コンサルティング以外の新規ビジネス創出も、貿易案件、海外展開案件、地域活性化案件もスポットながら受注できるようになりました。本当に色々な方々のご協力、愛情に支えられての三年間でした。この場をお借りいたしましてお礼申し上げます。誠にありがとうございました。

さて、ではこの3年の経験を生かして、4年以降はどうするのか?ということですが、実は新しいプロジェクトを始めました。新しいサービスを、ほぼ一人会社の株式会社チアーマンサポートとしてではなく、パートナーの方々とのチームワークを自ら強化することの挑戦です。9月から開始したのはテストであり、本格サービスとしてのローンチは来年1月を予定しておりまして、名前や詳細については、煮詰めていきながら、紹介させていただきますね。ただ、大事にしたいことは、子育てをする中でたくさん得たヒントをもとにしています。例えば、子供に「○○しなさい」と命令すると、「大人はそんなことしないのに、どうして子供はしなきゃいけないの?」と反論され、こちらがタジタジになることがあります。実はコンサルタントも同じ。基本に基づいて、アドバイスしているんですけど、私たちこそ、上手にビジネスできていない、上手にコミュニケーションできていない、ってことが往々にしてあるのです。

そして、もうひとつ、新プロジェクトで大事にしたいことは、色んな立場や条件の方々が、さまざまに、独自性を生かして大活躍できる場を実現することです。あちこちで言われていることですが、ICTの発達で、今ある仕事の○%がなくなる、自動化してしまう、と。そんな状況下、より応用することや、人間しかできないことの価値を上げたり、革新していける力を、企業さまやその従業員さんにつけていただきたい!そんなサービスを準備しています。中国語でも「大顕身手」(ダー・シィエン・シェン・ショウ)とうことばがあり、大いに腕前を見せる、大いに本領を発揮する、ということを意味しています。一人でも、一社でも多く、与えられた場所・環境で、大いに本領を発揮し輝いていただけるような4年目にしたいと思います。それこそが、私の「大顕身手」になることだ、と信じていますから!

大显身手 [da4 xian3 shen1 shou3]

88.山と水を愛せよ

2016/08/29 11:21 に Sae Goto が投稿

先週はお休みを頂いておりました。ちょうど東日本では台風だったようですが、私がおりました西日本では、台風に影響を受けているのか異様な暑さはあったものの、雨に降られることなく、東京まで戻ってきました。

実家の帰省に少し旅行をくっつけて、国宝姫路城と世界遺産の広島の宮島・厳島神社、そして呉の大和ミュージアムに行ってまいりました。青空に高くそびえる白鷺城こと、姫路城も、海の中に神様をまつった厳島神社も、そして時代はかなり後になりますが戦艦大和も、重機も(大和の時はありますね)コンピューターもない時代に、壮大な構想、綿密な計算、地道な労力の積み重ねで、こんなに大きなものを、しかも今まで残るものを創られた、という古の人々に、尊敬の念を抱かずにはいられません。その一方で、もの事の基本は、何事も、そしていつの時代も同じである、ということも再確認できました。国を治めるために、という一大理念があって、そこに向かうために何をするのか、お城や神社を建てるのか、相手は誰で、それに対応するためにどんな機能を付けるのか、それを実現するために、どんなな体制で、いくらの予算で、どんな材料・スケジュールで進めるのか…。まるで経営管理ですよね。

こうやって創られたものを見て感動する一方、自然美しい瀬戸内海や、まだまだ緑の中を行く電車に揺られながら心も洗われました。自然の山や水は、人間の気持ちを癒してくれるものですが、そこから学べる事もあります。「仁者爱山,智者爱水(仁者愛山、智者愛水)レン・ジャ・アイ・シャン、ジー・ジャ・アイ・シュイ」、仁徳のある人は山を愛し、賢明な人は水を愛する、という中国のことばです。このときの山は静かで泰然としているもの、些細な事で動じない、ということを、水は時代の流れや変化に従って、動的かつ臨機応変に行動することを意味しています。これも、無理やり経営管理に当てはめると(いや、案外無理やりでもなく、結構すんなり?)、山は何があっても変わらない経営理念を表し、水は日々の仕事と流れに合わせるイノベーションといったところでしょうか。

古典から学ぶことは、本当に多い…ということばは少し軽いですね。深みがありますよね。夏休み、山と水と、そして大きなプロジェクトの産物を見ることができ、キモチもリフレッシュしました。新学期9月からもがんばりましょう!


仁者爱山,智者爱水 [ren2 zhe3 ai4 shan1 zhi4 zhe3 ai4 shui3]

87.居ても立っても

2016/08/15 9:42 に Sae Goto が投稿

世の中、お盆休みに突入したようですが、夏休みは少し先にいただくことにして、今もカリカリ事務仕事に追われる私です。が。子供たちが夏休みで、毎日客先訪問しても、打ち合わせがあっても考えないといけない食事の支度やもろもろケアで、時間がいくらあっても足りません。それなのに、また地球の裏側で盛り上がっているオリンピック!!!私もスポーツ観戦は大好きですし、この日のために、日々鍛錬し準備されてきた選手やその取り巻きのみなさんのことを、勝手に感情移入して見てしまうものですから、疲れることといったら…。

そう、こうやって事務仕事をしていながらも、なんだかそわそわしてしまうこと、やはり中国語でも同じような言葉があるようです。「坐立不安(ズオ・リー・ブー・アン)」文字の通り、座っていても立っていても不安、いてもたってもいられない、という意味です。自分自身の中でも、この仕事をやらないと!!という気持ちのほかに、お盆休みで取引先や客先のペースもかなり緩んでいることから、キモチはかなりオリンピックに引っ張られています。

う~ん、こういう時は、4年に一度の2週間だけですもんね。思い切って応援しますか。切り替えも大事ですし、そわそわしながらやっても、間違いがあってはイケませんからね!!と、都合のよい解釈。夏休みにしましょう、みんな、がんばれ~!!

坐立不安 [zuo4 li4 bu4 an1]


86.美しく、輝こう

2016/08/01 19:34 に Sae Goto が投稿

先週の土曜日、東京近辺で活躍する在日中国人女性経営陣の集いに参加させていただきました。40名近い参加者のうち、私を含めて日本人女性も数名いましたが、20代の芸術家から還暦近くの女性大先輩まで、皆非常に明るく、日本語が上手く、生き生きとされている方ばかりで、並々ならぬ刺激を受けて帰ってきました。

また、日曜日、東京では初の女性知事が誕生しました。イギリスの首相も再び女性が就任し、アメリカでも初の女性大統領が生まれるか??という状況で、世界中で女性の活躍がみられるようになりました。それが良いとか悪いとか、女性活躍のための育児・介護政策云々については、ここでは述べません。私が今日言いたいのは、そういった表に出てくる女性たちの顔が共通して「美しい」ということです。

誰かに会ったり、人前に出るからお洋服やお化粧にも気を遣うということもあるでしょうが、もっと中から出てくるような美しさとして、「誰かのためになりたい」「世の中をもっと良くしたい」という強さや意思の表れが、美しさとなっているような気がするのです。顔やスタイルというよりは「オーラ」といったほうが近いかもしれませんね。

土曜日の中国人女性社長の会に話を戻しますと、多くは子育て中または子育てを終えた女性でした。子育てから離れられるから、お化粧やお洋服に気合が入っているのではなく、子育ての前から外国にやってきて、中国ならもう少し自由に働けるのに(日本よりは両親が育てる習慣が根付いていたり、アイさんというベビーシッターを安くで雇ったりできるし、女性管理職は珍しくない…)日本で不安な子育て時期を経験し、それを乗り越えて勇気と共に一歩踏み出された方ばかりですから、輝かない訳がないですよね。

中国語には「女大十八变(ニュイー・ダー・シー・バー・ビィエン)」という言葉があります。女性は成長と共に磨きをかけ、多くの変化を遂げる、という意味で、必ずしも「18個の」変化がある、とうことではないようです。確かに、環境や自分自身の体の変化に対応し自分よりも他人にペースを合わせなければいけないのは、出産・育児を経験する女性の方かもしれませんが、それを苦とせず、プラスにとらえた人が輝けるんでしょう。18の変化が、世界をも変えていけるよう、世界の半分の要員として、もう半分の方々と手を携えて、より魅力的に、輝けるようになりたいですね。

女大十八变 [nv3 da4 shi2 ba1 bian4]


85.ぶつぶついわずに

2016/07/25 8:37 に Sae Goto が投稿

さて。夏休みに入りました。子供達の手はそれほどかからなくなってきたとはいえ、給食に御世話になっている間は考えなくてもよかった毎日のお昼ご飯のこと、ただ「自分達で何か買ってきなさい」を含めて「気にかける」事項が毎日一つできたこと、親にとっては少しアタマの痛い時期でもあります。そんな私個人の事情とは全く関係なく、お仕事はいつもと変わらず有るわけですから、これはこれで、大変ありがたいことなんですが、ついつい「子供が夏休みでなければ、もっとできるのに」とか恨み言の一つや二つも言ってみたくもなります。ただそこを本当に言ってしまうかどうかで、器の大きさが1サイズも2サイズも変わってきそうですね。

ダイバーシティの時代が到来し、男性のオフィスワークを基本とした9時から17時+残業たっぷり、という就業サイクルが「スタンダード」ではなくなりつつある今日この頃、もう、何が「普通」なのかは自分が決める世の中となりました。自由になった、というよりは、自分で責任持ってコントロールする時代になった、という方が適切だと思います。私も「子供もいますし、あまり沢山できません」などと、ついつい言ってしまいますが、そんな断り方をすると、子供がいる人の働き方はいつまでたってもスタンダードにならないですよね。もちろん、周りの人々の理解や協力あってのことですから、常に感謝の気持ちは忘れてはいけないですが、「一日8時間労働」を普通にしない、つまり、家のことや他のシゴトをしながらでも今のシゴトをすることに、誇りと自信と責任を持ってやるには、それをさせていただける環境と情況につねに感謝をする、そういうことなのかな、と思います。

不満があれば、それを克服することでモチベーションを上げればいい。ただ、自分が変えられない環境や情況について、グチを言っても変えられないのなら、その環境の中で自分が最大できることについて、まずは満足をすべきなんでしょうね。その気持ちさえあれば、いつもにこにこ、満足し、ありがたく思い、さらに向上していけるような気がします。大変な子育ても同じ情況があと何十年も続くわけではありません。「知足常楽(ジー・ズー・チャン・ラー)」足るを知って常に楽しむ。これだけしか働けないけど、全く働けないより、いいじゃないか、と、自分を満足させ、前向きな気持ちにさせる。そんな心がけから、良い運も舞い込んでくるのではないでしょうか。前を向いて、行きましょう!一歩一歩。


知足常乐 [zhi1 zu2 chang2 le4]


84.三本の矢…でなくて、お箸?

2016/07/11 21:16 に Sae Goto が投稿

最近の私の中でのテーマは「共有」なので、今週も共有に関して少し書かせていただきますね。一人の力では何事においても限界がある。チームで力を合わせれば、人数以上の力が出る。…そんなことは分かっているのに、企業様のコンサルに伺うと、組織のパワーを出し切れず、モチベーションも上げられず、結果、みんながバラバラの動きをとり、非効率を生んでいる…なんてことがままあります。会社に限らず、各種ボランティア活動、特に私のお得意のPTA活動でも、力を合わせることは本当に難しいです。みんな、頑張った後は美味しいビールが待っている、と分かっていても…です!!なぜでしょうか?

最近はこればかり意識しているせいか、いろいろ見えてきました。企業であれ、ボランティアであれ、「その団体の目標が明確で、皆に周知されているか」、ということがまず一番で、「グループの目的>個人の動機」の時には、皆グループ活動に参加してみようかな、と思うのですが、自分自身に高い望みがあったり、自分のことを置いておいてでも組織の目標に向かっていきたくなるほどの魅力的な目標を、組織側が掲げていなければ、皆、自分の目の前の生活や作業の場から腰を上げようとしません。結局、皆が持ち場を離れず、組織のために動くことをしないので、互いにわかり合えず、結局「一人でやった方がいいや」となってしまうのです。

次に、組織の目標があったとしても、皆それさえあれば、あうんの呼吸で勝手に動くわけではありません。その目標の元に、自分の役割を見いだした(あるいは明確に指示された)ものがあれば、さらに一歩目が出しやすくなります。さらに、一歩踏み出した組織の中でのルールを定めると、皆が目標に向かって、ルールを守って前進できるようになります。会社でもボランティアでも、「どうせ自分は」と思っている人が多数派なら、そんな組織は動きません。多少のプレッシャーや緊張感・責任感があったとしても、その先に見えるもの、そのための自分のやることを一歩目だけでもリーダーが示すことが大事であると、痛感する今日この頃です。

「一根筷子容易折,一把筷子难折断(イー・ゲン・クワイ・ズ・ロン・イー・ジュ、イー・バー・クワイ・ズ・ナン・ジュ・ドゥワン)」一本のお箸は折れやすいが、一束のお箸は折れない。三本の矢のお話に通じる、お箸のお話。束ねてもバラバラにならない内面の粘着力強化が大事なんですね!

一根筷子容易折,一把筷子难折断


83.三方よし

2016/07/04 20:44 に Sae Goto が投稿

近江商人の行動規範とされていた「三方よし」。最近続けて目にすることがありました。ご存知のとおり「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」。よくビジネスの協業で「Win-Win」の表現は出てきますが、関係者双方だけでなく、社会的にもどうか、ということが、企業の社会的存在意義にもなる、ということなのでしょう。

このダイバーシティの時代、当社もそうですが、個人事業に近い形での企業の設立のハードルが下がり、簡単に創業できるようになりました。個人で独立するときの形態として、「個人事業主なのか、法人なのか」で迷われるケースも多いでしょう。(そして、弊社も全くその通りで…)すると、なおさら一人でできることが限られてくるので、パートナーの重要度が大きくなってきます。そこで「Win-Win」の相手を、できるだけ確保して、利益が入ってきやすいネットワークを拡大していく…という、プロセス。

ここまでなら自社とパートナーの二社だけの話。社会にどれだけ貢献できているか、というところまで、なかなか目が向けられないものです。起業するときには「こんな便利なものを世に出したい」「こんな人々を助けたい」と、思っているのに、実際事業を始めると、家賃だ人件費だ、税金だ、HPや広告…と、どんどんコストが出ていきます。その出費を上回る利益を出すのに(当然ですが)必死になってしまい、もともとこの会社として、社会のどんな役に立ちたかったのか、ということはどんどん後回しになりがちなのです。

でも。経営者さんのコンサルティングをしていて「もともとどうしてこの会社を起業されたんですか?」あるいは、「社長になったとき、どんな会社にしようと思いましたか?」と聞くと、ふと、三つ目のことを思い出される方が多いです。すると、希望に燃えてきたときの気持ちがよみがえるんでしょうか、意欲的に課題に取り組まれるようになること、よく見受けられます。社会の中でどんな役に立ちたいか。これは経営者にとっての大きなロマンなんでしょうね。

で、これにあたる中国語を探してみたんですが、「Win-Win-Win」はなくて、「Win-Win」まででした。「两全其美(リャン・チュエン・チー・メイ)」双方が美しいこと、双方にとって良い結果になること。三方はやはり、なかなか難易度が高いので、まずは双方のことから考えましょうか。自分だけ大変ビジネスなのではなく、自分も相手もワクワクするような、ビジネスになるように。

两全其美 [liang3 quan2 qi2 mei3]

82.「こつこつ」と「一気に」

2016/06/27 20:41 に Sae Goto が投稿

何事も、勢いが大切。その一方で、コツコツ、無理なく、も大事。コツコツと実績と経験、時には失敗とその回復を重ね、自分に力を付けてきたら、今度は次のステップを目指さないと!…と、クライアント企業さんを応援しながら、そんな声がけをするものですが、ふと自分を見返してみると、なかなかできるものではないこと、勇気がとても必要なことを思い知らされます。では、どうして勇気がいるのでしょう?何が怖いんでしょうか?それは…失敗でしょうね。

クライアント企業さんの課題をピックアップして、進むべき方向を指し示す側の立場なのに、自分の方向を指し間違えたり、方向は間違って無くても各論で躓いたりしてしまったら…。なんて、正しいか正しくないかではなく、格好良いか悪いかでさまよっている自分がおかしくなります。よく考えたら、間違ってからが勝負なんですよね。もちろん、誰も失敗したくないですし、間違いたくもありません。でも、自分ではコントロールできない事情や予測不能の事態も起こりうるのですから、できるだけそんなことは少なくなるよう、最大の努力はしつつ、進むべきは進む、という判断力が大きな意味を持つ局面になるのだと思います。

そんな自問自答、この頃多くなりました。どこからが無茶で、どこからが適度な挑戦になるのか。おそらく、失敗したときにやり直せる規模なら適度な挑戦といえるんでしょうね。しばらくは、その見極めです。起業したときに「やりたい」と思ったことを思い返し、今までやってきたこと、蓄積してきたことを踏み台にして、どの時点でジャンプするか。タイミングを逸すること無く、機が熟したら一気呵成に攻めていけるよう、体調も準備にかかりたいと思います。

そう、中国語でも一気呵成に似た言葉、「一鼓作气(イー・グゥオ・ズオ・チー)」。ネット辞書で調べてみますと、この場合の最後の「気」という感じは、「勇気の気」と解釈してありました。じっくり準備ができたら、あとは一歩踏み出す勇気が必要、そういうことですね。滑走路の端近くまでノロノロとやってきた飛行機のように、新しい挑戦に飛び立てるよう、今週もがんばりましょう!

一鼓作气 [yi1 gu3 zuo4 qi4]

81.適材適所

2016/06/20 9:47 に Sae Goto が投稿

帰国し起業してもうすぐ3年。目の前に与えられる環境をと課題を受け入れ、頂いた講師やコンサル等のチャンスはできる限り受け、また帰国時に一緒にビジネスを!と言ってもらった中国現地パートナーとの関係も切らさずに、貿易等のビジネスも細々とやってきました。なんとなく、一回りしたところで感じます。基本はどれも同じ、だと。

例えば、中小企業診断士としての得意分野が何であっても、プロのコンサル業として成り立たせるためには、お客様に価値を認めてもらう以外に何もないということも、再確認できました。私がお会いしてきた中小企業さんのニーズは、「やらねばだめだ、とは分かっていても、どうやってやってよいのか分からない。逐次できることなら教えてほしいし、自信もないから、一緒にやってほしい。」という点にほぼ、集約されています。そんな要望に対し、大変専門性の高いアドバイスができる人か、専門性はそれほどでなくても、一緒になって調べたり、考えたりできる人か、どちらが長く付き合いたいと思われるかというと…そうですね。そういうことです。

もちろん、例えば海外展開後、その国の特殊な制度のために問題解決が難しい場合は、本当に高度な専門家の知識やアドバイスが必要です。でも、たいていのお悩みはそこではありません。もっと身近な存在でありながら、時には引っ張り、時には後ろから背中を押せるような知識と人間性を磨いていかないといけないのでは?と思います。

また会社を経営したことがないのに経営コンサルをする、というのは、運転したことないのに教習所の先生になるのと同じように思えてしまいます。或いは自分が経営しないなら、誰にも負けない第三者としての磨きをかけることが必要でしょうね。私自身は自分で人を雇ったとき、会社の望む仕事、その人の適正に合う仕事を創り、マッチさせることが如何に難しいか、そこに人がいれば仕事がはかどるわけではない、ということ、マネージメントの難しさを実感しています。それも多くの中小企業経営に共通する点で、一人なら何とかなるのに、数人になった瞬間にうまくいかない。無駄が出る。これこそマネージメントがうまくいっていない、中小企業診断士の出番だと考えています。

中国語で「大材小用(ダー・ツァイ・シャオ・ヨン)」大きな人材を小さく使う、つまり適材適所になっていない、ということですが、中小企業診断士の価値を認めてもらえるような自分のスペック創りに尽力しながら、中小企業さんの人材マネージメントも親身に考えられるよう、今週も頑張りたいと思います。

大材小用 [da4 cai2 xiao3 yong4]

80.卵を投げたら

2016/06/13 22:15 に Sae Goto が投稿

「鸡蛋碰石头(鶏蛋碰石頭):ジー・ダン・ペン・シー・トウ」。「鶏蛋」は鶏卵、「石頭」は石ころのこと。卵を石にぶつける、つまり…間違いなくすぐに割れてしまうので、勝ち目のないことをする、身の程知らずのことをするという意味だそうです。確かに、勝算のない勝負はやってはいけないかもしれませんが、日本人はいつも、その心配ばかりして、チャレンジしないような気がします。いや、卵を投げてしまうか、あるいは全く何も投げないのかもしれません。

たとえば、ビジネスの海外展開で、よくあること。私は常々、海外展開や国際化というのは、急に何か特別なことを始める、ということではなく、国内事業の延長線上にある変革(売上拡大のための市場拡大、コスト削減のための海外材料調達、何かの問題解決やイノベーション)を行うこと、と申しております。簡単に言うと、現状の取引形態では、これ以上の利益拡大は見込めないから、ビジネスの一部をボーダーを超えた取引に替える、というイメージです。ですが、ボーダーを超えてしまえば、言語、法律、商習慣が異なってしまい、色んな壁にぶち当たってしまうことも事実です。

「だから…」なのか、「にもかかわらず…」なのかで、全く何もしないか、あるいは投げるとしたら無防備に卵を投げるか、に陥ってしまうケース、よく見られます。何事も初めてのことはストレスもエネルギーも、そしてお金も必要になってきます。でもそれは越えてみて初めて、次のステップなり課題がみえるもの。「今動くのは得策でないから、静観する」という「能動的なストップ」は別として、「こわいから、めんどうくさいから、わからないから」ストップすることは、時代に取り残されること、退化していくことに他ならない…ですよね。一方、ボーダーを越えて取引するときの違いやリスクの対策もせず、日本にいるときと同じように商談し、当然のように上手くいかないことがありますが、こちらは十分な準備もせずに卵を投げてしまう場合です。

いずれも困った例ですが、両極端の例ながら共通していることがあります。変化を、もっと言えば進化をしようとしていないのです。日本の市場で十分利益が確保できなければ、勉強してでも海外進出も検討しなければいけないですし、日本でのやり方と同じようにはできないのだから、国際ビジネスとして通用する方法を模索しなければいけません。卵を次のステップの鶏に育てるため、あるべき変化は苦労してでもやり遂げなければいけませんね。今週もがんばりましょう。


鸡蛋碰石头 [ji1 dan4 peng4 shi2 tou]

79.チームワーク

2016/06/06 20:05 に Sae Goto が投稿

グループや集団で力を合わせて一つの結果が出せたとき、喜びを分かち合える仲間がいると、その喜びを倍にもしてくれます。また、仲間がいれば、失敗してもその悔しさや悲しさは分かち合えて気持が軽くなります。ただ、集団で何か一つのことを成し遂げるというのは、そんなに簡単なことではありませんよね。皆それぞれの事情や、感性や価値観があり、同じ目標があってもアプローチの方法やスピードがそろわないと、トラブルのもとにさえなってしまいます。集団で何か結果をだせば「ああ、よかった!」と思えるのに、それまでの地道な努力や日常がなかなかうまくいかないのです。

それは中小企業のIT化にも言えると思います。インターネットの普及、メディアの多様化で、中小企業にとっても国内外のビジネスの独自の道を切り拓くチャンスが巡ってきました。しかしながら、一人なら個人輸出・個人輸入のように自由に、いろいろ工夫してできるのに、数人の小規模事業者になると、一挙に管理ができなくなります。そう、「共有」という概念が、管理上もコミュニケーション上も、非常に難しいステップなのです。逆に、ここができていると、一挙に効率もあがります。効率が上がると、次のことを考えてみたくなり、色んな事が楽しくなり、良いスパイラルができてきます。そして結束力の強いチームが出来上がるのです。逆はもう、説明しなくても大丈夫ですよね。共有できていないと、どんどの負のスパイラルに入り込んでいきます。

週末は子供の学校の運動会でした。新学期始まったばかりで、落ち着かない間から早朝練習、居残り練習を重ねて本番を迎えた応援団・組体操の演技は本当に素晴らしかったです。また、演技が終わってから余韻に浸ってハイタッチしている子供たちは、一仕事を終えてほっとした気持ち、力を合わせて成功できたことの喜び、そしてもう練習しなくていい代わりに、なんとなくこれで終わっちゃうのかという少し寂しい気持ちなど、虹色のオーラが満開でした。

「同甘共苦(ドン・ガン・ゴン・クー)」、苦楽を共にする、という意味の四字熟語です。ちょっと面倒くさい「共有」、共に目指す目標と、共に過ごすためのルールを決めて気持ちよく成功に向かう、あるいは共に失敗を悔やんで次に向かうことの大切さは、洋の東西を問わず大切なチームワークなんでしょうね。当社でも実現していきたい、次のステップです。

同甘共苦 [tong2 gan1 gong4 ku3]

78.雀のように

2016/05/30 17:34 に Sae Goto が投稿

「スズメは小さくても、その五臓六腑はすべてそろっている。」(麻雀虽小五脏俱全:マー・チュエ・スイ・シャオ・ウー・ザン・ジュイー・チュエン)という中国のことわざがあります。小さな機械でも必要な機能を全て完備しています!と、売り文句のようでもあります。が、中小企業診断士としても、大事なのでは…と思います。

「経営コンサルタント」は、それぞれが専門性を持つことで差別化しながら競争力を発揮するわけですが、専門性と同じぐらい汎用性というか、幅広さが求められるなぁと近頃強く考えるようになりました。そもそもなんでコンサルタントになるかというと、第一は中小企業の活性化や支援に強い関心があるからなんでしょうが、その次は、自分がやってきたことを、他人のために生かせないか、という動機があると思うのです。また、だれでも起業するときは初期投資は小さいほうが良い!と考えますし(良いか悪いか、ではなくて、安く上がるならそれに越したことはない、という意味で)、設備投資の必要なメーカー、店舗の必要な商業に比べ、コンサルは初期投資無でいける!!!と思ってしまいがち。いや、たしかに初期投資で考えると、“製造業>卸・小売>コンサルなどのサービス業”の順でしょうけど、「比較したら少ない」だけで、「ゼロ」ではありません。むしろ、初期段階で適当な投資をしているかどうかで、今後のコンサル業としての事業を左右するのではないか、とさえ思っています。

会社の規模が大きくても小さくても、自分の得意分野であってもなくても、私たちのクライアントである企業の社長は、決裁をどんどん行っていかねばなりません。現場や各部門から上がってくる問題や課題について判断し、導いていくのが役割だからです。だからこそ、孤独であり相談相手が必要になってくるのですが、その時、社長が悩むあらゆる心配に、できることなら一歩進んで応えていかねばなりません。相手のニーズに応えようとすればするほど、色んな知識や知見が必要となります。(すべて経験までしている時間はありませんが…)

私たちが投資すべきは、ここだと思います。幅の広さ。得意な分野で差別化できつつも、基本的に何をきかれても、最悪自分がわからなくても対応できる情報ルートを投資として開拓しておくこと。それが外部ネットワークでなく自分自身に新鮮な情報をどんどん貯め、更新していけるのならより高い利益を実現できますよね。やはり自分が資産なら自分に投資をしないと!中身空っぽの大きな図体ではなくて、小さくとも強く信頼できるコンサルタントにならねば!!!と改めて感じています。

麻雀虽小五脏俱全 [ma2 que4 sui1 xiao3 wu3 zang4 ju4 quan2]


77.桃は何にも言わないけれど

2016/05/16 13:37 に Sae Goto が投稿

弊社では、中国スマホアプリ「WeChat」の販売協力もさせていただいているのですが、その関係も有って、さらに中国企業や在日華人の方々のネットワークを広げています。昨夜も、WeChatのオンラインイベントであるセミナーに参加しました。「セミナー」とはいえ、WeChatというアプリのチャット画面を立上げ、そこで音声チャットによる講演内容が資料等と共に流れてくるものです。完全中継ではないですが、コマ送り?のような、「細切れ送り」(?)のような、ほぼリアルタイムイベントで、とても新鮮な思いで、自室で参加していました。自室なので主婦でもある私はアイロンを掛けながら、在日華人対象の中国語の講演を聞き、終了後に流れてくるチャットでの拍手喝采や多くの質問、賞賛のコメントなどを眺めていると、本当にホールにいるような気分、まさにバーチャル体験でした。そんな不思議な体験以上に感動したのが、参加者数です。なんと80名もの参加者が同時にそのチャットの中に入り、お行儀よく最後まで聴いていたのですから、その運営主体の信用力と集客力には本当に素晴らしい人たちなのだと再認識しました。

当社でも1月にGセミナーを開催しましたし、診断士協会でも何度もイベントやセミナーを企画・運営しており、いつも集客の難しさを思い知らされてきています。今回、バーチャルイベントで80名集める、というのは、物凄いパワーもあったでしょうし、誰でも良いから、または何か「釣り」道具を使って呼んできたお客さんなら、こんな風に最後まで皆集中して聴き、終わったら一斉にコメント、ということはありえないと思います。これも主催者さんの積上げて来られた信用と、実績の賜物なんだろうなぁ、と深く感動しておりました。

「桃李不言 下自成蹊(タオ・リー・ブー・イェン、シィア・ズー・チェン・シー)」。桃や李(すもも)は、言葉はなくても勝手に人が集まってくる。良い人の周りには自ずと人が集まってくるものである、ということです。成蹊の「蹊」は道、という意味でもありますが、大きな夢やビジョンを持ちながらも、自らを高める事で足元を固めて行けば、自ずと道は拓ける、ということなんでしょう。営業することも、広く分かってもらえるように努力することも大事ですが、まずは自分を黙って磨け、ということなんでしょうね。私もまだまだ磨き続けて、こうやって新たにできた人のネットワークの中で、新たな道が拓けて行くよう、コツコツ進もうと思います。

桃李不言 下自成蹊 [tao2 li3 bu4 yan3 xia4 zi4 cheng2 xi1]

76.魚より魚獲りの方法を

2016/05/09 0:21 に Sae Goto が投稿

誰かの役に立ちたい、誰かのために何かをしてあげたい、と思う時、コンサルタントの我々は、少し立ち止まって考えねばならないことがあります。その(今からやろうとする)サポートや知識は、本当にその人のためになることか。もっと言えば、短期的にも長期的にもそれがベストなサポートなのか、ということです。

私は大学卒業後、三年間日本語教師をしていました。日本語教育メソッドを通信教育で習ったばかりだと、それを使いたい気持ちが高まり、「私が」教えることに焦点が当てられ、相手(生徒)が「日本語をできるようになること」はその次になってしまいがちになることに、比較的早い段階で気づきました。また、普通の会社員の経験も積まないと!と帰国して東京の会社に勤め始めた時、初めは営業アシスタントでしたので、社内システムの使い方を先輩女子社員から教わったものです。その説明が「動作の目的」ではなくて「動作の順序」でしかなかったので、イレギュラーが起こると全く判断できない状況になりました。転職してITベンチャーで勤め、新規事業部長になった時、営業数値を管理する女性社員が余りに数字の打ち間違いに気が付かないので、「大体の数字を思い浮かべながら作表しなさい。そうすれば、ゼロの数がちがったら『おかしい!?』と思えるでしょ。」と指導すると、間違いが激減しました。

要は、相手を助けるつもりが、目の前の処理方法にしか目がいっていないと、サポートの「賞味期限」もその場かぎりとなってしまうのです。ところが、サポートの目的をもう少し長期的に、いや今後ずっと、あるいは自分で更に改良していける力をつけるところまで目指すのであれば、その場の知識を与えるのではなく、知識を得て行く「力をつける」、ということがより良いサポートになる、と言いたいのです。

老子の言葉に、「授人以鱼不如授人以渔」(ショウ・レン・イー・ユィー・ブー・ルー・ショウ・レン・イー・ユィー;魚をやるよりも、魚の獲り方を教える方が良い)というフレーズがあります。長くてイレギュラーの多い人生で、強く生きていける力をつけるためには、自分で問題を解決し、楽しんでいける力をつけてやる、ということが何より大切なんだ、と子育てをしながらも益々そう思うようになりました。気が遠くなるかもしれませんが、相手の数年後を見据えて、私達は今を大切にしていきたいですね。お魚を直ぐにやりたい気持ちを抑え、ちょっと面倒でも一緒に釣りをするつもりで。


授人以鱼不如授人以渔

[shou4 ren2 yi3 yu2 bu4 ru2 shou4 ren2 yi3 yu2]

75.偶然の成功なんて

2016/05/02 15:14 に Sae Goto が投稿

先週金曜日、東京都中小企業診断士協会公認の研究会の一つであるワールドビジネス研究会に、セミナーの講師として呼んでいただきました。チアーマンサポートとしての中小企業さまの事業国際化のお手伝いの事例※やそこから学んだことをお話しし、私自身も頭の整理になりました。また、話す内容の整理や資料の作成、そして話し方(発声・抑揚・表情)もプロフェッショナルとしては、ある程度のクォリティを求められるものだという考えから、何度も、特に初めの挨拶は練習しました。

練習、といっても、そのために特別に時間を取れるほど余裕の無い私は、炊事や洗濯ものなど家事をしながらの発声練習が殆どです。もともと、子どもの頃から人前で話すことも多く、人前で司会をする機会も色々とありました。でも、その度に両親から「早口すぎる」等と指摘を受けたものです。自分では何となくできるような気分でいるのですが、実際他人から見てみると、そんなレベルにはなかなか達しないものなんですね。そこで練習を真面目に始めたのが、診断士資格を取得し、いきなりシンガポールに渡って財務会計の講師のお仕事を頂いた時です。

財務会計講師の仕事は、いきなり一日、4時間の授業でしたので準備の量も膨大。それを説明し、答えてもらい、質問を受け…と、時間を計算するのも(初めての事なので)大変です。まずは話す方で私が時間を狂わせてはいけない、一発でばっちり理解してもらわないと!と、内容の書き下ろしとその暗誦を心掛けました。自分自身、どこがゴールなのか分かりませんでしたが、まずはできるところまで、気が済むまでやってみようと、最後まで資料を見直し、話す練習をしました。

その結果、やはり緊張はしましたが、しっかり受講生の顔と反応を確認しながら自分の言いたいこと、初めに立てたミッションを達成することができました。今回も色んな方に「あなたでも練習するのですか?」と言われましたが、プロなら最後までクォリティに拘りたい、という気持ちからできる限りの練習をした努力は結果に繋がったように思います。「成功とは偶然ではなく、努力は必然である」という中国語のことわざ「成功不是偶然,努力才是必然(チェン・ゴン・ブー・シー・オウ・ラン、ヌー・リー・ツァイ・シー・ビー・ラン)」とは正に、その通り。今後も成功の為に努力を積み重ねたいと思います。

※同セミナーでの企業名の開示は、同意頂いた企業さまのみ紹介し、企業名の掲載された資料は配布しておりません。

成功不是偶然,努力才是必然

[cheng2 gong1 bu2 shi4 ou3 ran2, nu3 li4 cai2 shi4 bi4 ran2]

74.考えるスキマを作ろう!

2016/04/25 21:07 に Sae Goto が投稿

年度の変わり目に、中国出張をしたり、なんとなく大企業の人事異動などで案件が進まないのを良いことに、少し落ち着いていた私ですが、いよいよ本格始動といったところです。(でも、それも連休でまた一旦休止モードになるのでしょうが…)しかも、コンサル案件も、有難いことに増え、診断士協会の(ボランティアながら)お仕事も新しくなり、そして昨年度から取り組んでいるWeChatの普及・販売活動も、いよいよ次のステップに進み、そして…また新しいプロジェクトが始まろうとしています。もちろん一人でできることは限られていますし、色んな方に助けてもらってやる気、満々です。もっと言えば、プライベートではPTA活動も担当することになりました。

今日も、今週のセミナーの練習をしようと思っていたのですが、そういう時に限って、いろんな「飛び入り」事項が入り、テキパキこなしたつもりだったのですが、悲しいかな時間は過ぎて行きます。でも、やるか、やらないか。やるしかないんですよね。やるんだけど、どうやって効率上げて、どうやって精神的に健康に楽しくやるか。この辺りが長続きするコツだと思います。また、こまごましたものを片付けて行きながら、それで成長する、という前向きな気持ちを持っていれば、多分…いろんな問題はある程度同じようなプロセスで収束していき、問題解決のトレーニングになるのではないかな…と、都合のいいような解釈をしております。

それにしても、時は金なり。「作業」という、手続き上やらなければならないけれども定型化できるものをできるだけ自動的にできる環境を整え、スキルを身に着ける。そしてその分ででた頭とキモチとカラダの余剰で新しいものや問題解決などの思考やトライに充てる。皆、同じ時間しか与えられていない中で、どれだけクリエイティブな時間をクリエイトするか、それが楽しく生きることに繋がるんだろうな…と思います。「一刻千金(イー・クー・チィエン・ジン)」この一瞬一瞬を大切に、忙しさに流されないように、今週もがんばりましょう!

一刻千金 [yi1 ke4 qian1 jin1]


73.力を合わせること

2016/04/18 0:27 に Sae Goto が投稿

「众志成城」この、一番初めの文字は、中国語の簡略体ですが、日本語の漢字に置き換えると、大衆の「衆」という字になります。「衆志成城」(ジョン、ジー、チェン、チェン)、大衆の志は城を成す、すなわち力を合せて団結すれば、困難も克服できる、という意味です。日本語の「衆」よりも、ヒトが三人いる中国語の漢字の方が、意味としては分かりやすいような気がしますね。

会社を興して一人で色んな事を試してきましたが、昨年後半から試行錯誤の効果が少しずつ現れてきたり、あるいはそんな兆しを(私が勝手に?!)感じたりで、パートで秘書さんに来てもらったり、パートナーに依頼することも増えてきました。そして、私一人での時間や能力での限界も見えてきたことから、どんどんと「甘える」ようにもなってきました。初めは、私の思った通りにしてくださらないと、それをストレスに感じてしまう浅はかな私が居りましたが、今は一段ステップアップした気がします。「私の思った通りに動いてくださらない、ということは、私の伝え方が悪い」、「私の思うこと、やりたいことが100%正しい事ではない」ということがはっきり自覚できたのです。役割を決めて相手にアドバイスや意見をもらうこと、自分の行動を反省することは、何も恥ずかしいことではなく、堂々と行うことなんだ、と素直に思えるようになりました。

もちろん自分のやったことに対して、否定的な言葉をかけられたら、どんなに丁寧な気配りに満ちた言い方であったとしても、やはり嬉しいものではありません。しかし、そこでグチグチと湿っているようでは、自分自身が小さい器なんだ、そんなところを目指しているのではないのだと考えると、より明るく前向きな気持ちになれ、また出来るだけ色んな方に助けてほしいという感情も湧いてくるような気がします。そうすることで、(できているかどうかは、まだ少し自信がありませんが)助けてもらっている人への感謝の気持ちや謙虚な気持ちがチームワークとして生きてくる。また、互いに強いところ伸ばし、弱いところを補完し合おうという動きになる…こんなに強いことはありません。一人でやっていて「これは正しい」と思いこむよりも、ずっと背中を押され、または背中を支えてもらっているようにも思えるからです。

初めは子育てもあり、一人で融通の利く仕事をしようと始めた動機もありましたが、少しずつ、少しずつ、お城が建てられていくように、また楽しみや喜びを分かち合えるように、チームや組織を創る、育つ、育てる、ということを自分自身意識し、努力していきたいと思います。


众志成城 [zhong4 zhi4 cheng2 cheng2]

72.そんな簡単に良いことは手に入らない

2016/04/11 9:32 に Sae Goto が投稿

何かをしようとすると、すぐに邪魔が入る。それも、調子が良いな~と思っているときに限って。育児の場面でも、赤ん坊がようやく寝てくれてホッと一息コーヒーを淹れた瞬間に泣き出したり…。そんな経験は、誰にでもあるでしょう。はい、もちろん私も日常茶飯事と言ってよいぐらい。中国語でも「好事多磨」(ハオ・シー・ドゥオ・モー)といって、良いことには邪魔が多いという意味で使われていますし、きっと世界のどこでも、似たようなことは起こっているんだと思います。

私の経営コンサル先でも同じような話を聞きました。色々な問題を解決し、ようやく「これから本格的に行くぞ!!」という時に限って、トラブルが起こるんです。と。でも、コンサルとして状況を拝見していると、そういったトラブルの解決も、非常に冷静に事務的に、またある時は時間をかけ、ある時は素早く、非常に臨機応変に対応されて来られています。また、小さい問題解決の積み重ねで、その企業さま、随分強くなられてきたと実感しています。「雨降って地固まる」なんでしょうね。と、すると、解釈の仕方にもよるかもしれませんが、結局のところ「良いことには邪魔が多い」のではなくて、「邪魔や困難を乗り越えてこそ良い事にたどり着ける」のではないかな、と思ったりもするんです。

恐らく、何の問題も失敗も無いという人はいないでしょう。できれば皆、失敗したくないし、いざこざに巻き込まれたくもない。そのために、予防となることはどんなことなのか、解決するためにはどんなパワーが必要なのか、競って学ぼうとするのだと思います。私自身、起業して2年半、撒いて来た種がアチコチで芽を出したことを嬉しく思いながらも、その分アチコチで大小色んなことが起こっています。一杯一杯になってしまいそうなことも、少なくありません。でも、一度にはできないし、その先には「良い事」が待っているんだと信じて、時にはそんな状況を楽しみながらコツコツ毎日を積み重ねて行くのも良いのかな、と思っています。

今、大変なのは、それを超えると良いことが待っているから。卵が先か、ニワトリが先か、みたいな議論になりそうですね。いや、そんなことで議論しなくて良いんです。自分がやりたいと思うこと、やらなければならなこと、その前に立ちはだかる問題の解決にパワーを注ぐことが大事なんだと思います。では、今週もがんばりましょう。


好事多磨 [hao3 shi4 duo1 mo2]

71.やっぱり行ってみないと!

2016/04/04 22:48 に Sae Goto が投稿

一昨日、大陸出張から戻りました。普段は中国に付き合いの長いパートナーが多くいることを自分の強みのように言っていますが、なんだかんだと国内でバタバタしている間に、あっという間に一年のブランクが空いていました。果たして、久々の上海は、物価も上がり(昔より円安だから余計にそう感じる)、スマホ人口が蔓延して電車の中はうつむく人々とQRコードの広告で溢れ、時給の比較でさっさと仕事先を変える若者たちのサービスは仕事への誇りや自信を微塵も感じさせず、それでも多くの人は大きな声で笑い、話ながら道を行き交う…。一年前には話題にも挙がらなかった越境EC、WeChatでのプロモーションと、アナログ時代の人間にとっては、ちょっと煙たい顔をしてみたくなる変化ですが、それでも何とか工夫してビジネスをしよう、もっと豊かな生活ができるように仕事をしよう、というエネルギーは、やはり圧倒されるものがありました。

日本の新聞やテレビの大陸情報は、私は正直、フィルターがかかっていると思っており、それなりの意識で情報を受け取っていますし、「直送」的なメディアの情報も、いくつか入手して自分なりの「像」を持つようにはしています。でも、今回一週間弱、行ってみて初めて感じる事、分かる事、味わえることがあると再認識しました。また、子供達には「そんな年でも勉強するの?」と笑われますが、今の年齢になったからこそ受け入れられることや、納得できることだってたくさんあります。また、パートナーの某社長も、一人娘が嫁いで母になり、家政婦も雇っているから自分は育児を手伝わなくてもよいし、ようやくこれから自分の好きな仕事ができる!と張り切っていましたし、別のパートナーからは商材の開拓や、貿易の仲介依頼のお話もいただきました。

こうやって、皆、少なくとも私の周りのパートナーさんたちは、真面目に、実直にビジネスを素直に愛して進めているのですが、どうもフィルターのかかった情報しか受け取れない状況では、そのような人達にスポットが当たらないようです。でも、今やインバウンドの時代、どんどん中国のみならず、色んな国から日本に外国の旅行客が来られるようになりました。また外国企業の日本駐在員とその家族、そして日本で独立する外国の方も増えています。そんな人たちと私達は交流できているでしょうか?素直な気持ちで接していられるでしょうか?残念ながら多分そうでない場合が多いですよね。なのに、ビジネスはインバウンドを狙う…。どうやってそのターゲット市場の特性を掴むのでしょうか?とにかく話してみる、まずは行ってみる、商売を始めてみる。百聞は一見に如かず。一歩踏み出せば課題は明らかになりますよね。そんなことを再確認させられた大陸出張でした。


百闻不如一见 [bai3 wen2 bu4 ru2 yi1 jian4]

70.ことばと空気

2016/03/28 10:47 に Sae Goto が投稿

「空気を読む」という言葉が流行りだしたのは、いつからでしょうか?もともと文語で、文字化されていないニュアンスとか、雰囲気とか、奥に秘めた想いや考えを汲み取ることを「行間を読む」と表現されていたような気がします。活字離れを背景に(?)、Face to faceのコミュニケーションにおいて、言葉にされないその場の雰囲気を把握することを「空気を読む」と言われるようになったんだと思います。

日本人は仕事上でも「阿吽の呼吸」「みなまで言うな」とばかりに、「空気」で同意に持ち込もうという風潮があるようですが、このあたりが国際ビジネスで「日本人は表現が曖昧」とよく指摘される所以なのでしょう。そこは「言わぬが花」の文化の日本人の美徳…でもないですよね。私は雰囲気と言葉とは別の次元のことだと思います。ビジネス上での取り決めは、発言や記録で明確に行わなければいけないですし、おそらくどの国でも(明文化したものをどの程度まで守るの程度は異なるとしても)同じだと思います。ただ、特に交渉事や反対の意見を持つ相手をどうしても説得したいときには、相手がどの国の人であれ、「空気を読む」ことが求められますよね。

これも子育てから学んだことですが、子供が喧嘩をして別の子に手を挙げた。ここで大人は「暴力はいけない」と理解させないといけません。その場の暴力を止めさせるために、一時的に大きな声を出すのは効果があるかもしれませんが、もしその大声で子供が暴力を止めても、理解して止めたのではなくて、大声でびっくりして止めただけです。また、喧嘩をしている時は、大人も子供も興奮していますから、そこで説得しても全く聞く体制ができていません。時間をおいて、落ち着くのを見計らって、なぜそんなことをしたのか、どう思うか、今後はどうしたらよいのか、話し合って考えさせないと、根本的には理解させられません。

大人の世界のお仕事も同じだと思います。特に異なる言語を持つ人との間でのコミュニケーションは、相手の状態やその場の雰囲気を汲み取って、自分の言いたいことをどう表現するのが最も効果的なのか、二段階で考える必要があると思います。中国語でも「弦外之音(シィエン・ワイ・ジー・イン)」といって、弦楽器の余韻の意味から派生した、言葉に言い表さない意味のことを比喩する表現があります。なんとも優雅な漢字の熟語ですが、スマートにお仕事を進めるために、聴衆が「聴きたい!」という姿勢になったときに、思い切って演奏できるような日々のトレーニングを積みたいですね。


弦外之音[xian2 wai4 zhi1 yin1 ]

69.バタバタの中に

2016/03/14 16:40 に Sae Goto が投稿

年度末となり、いつものバタバタに更に輪をかけている今日この頃ですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?急いだり、慌てたりするたびに、注意力が散漫となってミスを犯したり、そのために元々足りない時間を問題解決や原状復帰に無駄に費やしてしまったり…。ただ「忙しい、忙しい」と周りに慌ただしさを振りまいているのは、見た目にもあまり美しいものではありませんね。どんなに忙しくても、どんなに怒りたくても、どんと構えて穏やかに落ち着いて対応したいものだなぁ、と改めて思うことが増えました。

しかも、この年になって、改めて実感することがかなり多いですね。若いころ、そうですねぇ、社会人になりたての20代というのは、管理職の方が「偉そうに」見えてしまい、海外からのお客さんを連れて、あちこち通訳や出張に忙しかった私は無知で、悲しきかな、「いいなぁ、管理職は、ゆっくりできて。」と思っておりました。また、こんなに忙しいのに、なんであんなにニコニコしていられるのだろう、と妬ましくも思っていました。今は、その管理職の方々の「ニコニコ」が、大きなプレッシャーや足を引っ張ったり邪魔をしようとする勢力とのストレスと闘いながらも、表に出さない人生経験とトレーニングの賜物だということが分かるようになりました。

単純に私が年を重ねたこともありますが、子育てをしていると、子供の純粋な質問にも色々と感じるところがあります。純粋で、これから成長していこう、問題を解決していこうとするエネルギーを、上からの力でかき消してしまうことなく、育て、答えていくということが、どれほど難しいことなのかというもの、日々実感しています。面倒くさいようですが、これを超えていって人は成長できるんでしょうね。

どんなに忙しくても、それは自分だけの世界の話。社会の中で生きていくには、他人と話し合ったり、妥協したりしながら協調していかなければいけません。自分だけの忙しさや焦る気持ちを、人にぶつけることなく、一息いれたり体を動かしたりしながらリフレッシュして、いつも優しく人に対応できるような、そんな人を目指したいですね。中国語よりも日本語でよく聞く言葉、「忙中閑あり」、忙しい自分の体ではなくて気持をコントロールして、一段上を目指せるよう、新年度もがんばりましょう!!あ、まだ半月、3月も残っていますね。こちらも時間を大切に!!


忙中有闲 [mang2 zhong1 you3 xian2 ]

68.目標はシンプルに、交渉は粘り強く

2016/03/07 14:27 に Sae Goto が投稿

先週は日本・中国企業さんそれぞれに商談がありました。チアーマンサポートの基本事業は、もちろん中小企業様向けの経営サポート・サービスなのですが、自社のコンサルティング能力及びビジネス感覚向上のため、また、コンサルタントとクライアントという関係以外にも、ビジネス創造における協業者と言う関係でも企業様とお付き合いするため、得意分野を活かしたビジネス創造に日々挑戦しております。

そんな中、特に国際ビジネスをする上で改めて気づかされることがあります。今回は我慢強い交渉について。日本人は交渉が苦手…というか、交渉になると逃げ腰になりがちです。新しい市場で新しいパートナーと新しいビジネスをやるぞ!!という意気込みは良いのですが、実際に詳細を詰めて行くに当たり、パートナーと100%意見が初めから同じということは、ほぼあり得ません。なので当然自社にとって絶対譲れないところ、方針などを明確にして、相手と話し合い、上手く交渉していくことが求められます。

しかし…。日本人は時に交渉をケンカや争いごとと取り違えてしまい、その交渉を良い方に持って行く努力よりも、早く終わらせることにエネルギーを費やしてしまいます。息も詰まるような駆け引きの緊張感が続くこと、これは大陸的な国家では遊び感覚とでも言う位、初めに落とし処を持って交渉に臨み、あわよくば自分にとってより有利な方に進むよう、あの手この手を使って条件を引き上げてきます。一方、相手の発言と自分達の条件がかけ離れると、そのギャップを埋める話しあいは、まるで喧嘩だ!!早くどっちかが引かないと!!と思ってしまうのが日本人(皆ではないけれど)。だから発言も、自社意見「やりたい」の一点張りか、「ここは一歩下がって…」と、相手の言うことを飲むか、交渉の時間・交渉でやりとりする言葉が極端に少ないと私は思います。

話をこじらせたくない、という日本人の気質からこうなるんでしょうか。でも、案外自分達のやりたいことの優先順位さえ決めれば、あとは腹が定まった者の方が勝つような気がします。交渉は、我慢や忍耐力が必要ですが、やりたいことを実現するため、という極めてシンプルな目的の為にあるような気がします。艰苦朴素(艱苦朴素:ジィエン・クー・プー・スー)苦労に耐えて、質素に粛々と頑張る、ということですが、日本人ワーカーは後者の「粛々」には慣れているのですが、交渉の粘りは(私も含め)もうちょっと頑張りたいところですね。決して怒ったり気を荒立てるのではなく、目的の為に、相手とじっくり話し合うこと。これに強くなれば、国際ビジネスが非常に楽しく展開できそうな気がします。「苦労に耐えて」とはいうものの、ですが!!


艰苦朴素 [jian1 ku3 pu3 su4 ]


67.手も脚も頭もバラバラな時は

2016/02/29 17:34 に Sae Goto が投稿

新しい年が明けた、中国の旧暦のお正月だ、と言っている間に、もう今日で2月も終わりです。日本の多くの会社・学校の今年度はあと一カ月を残すのみ。学校などは、もう最後の保護者会や卒業生関連のイベント目白押し。なんてことでしょう。今年、2月はいつもの年よりも1日長いのに、とても得した気にはなれないほど、毎日てんてこ舞いの生活です。

その「てんてこ舞い」に当たる中国語が、「手忙脚乱(ショウ・マン・ジィアオ・ルゥアン)」、漢字を見るだけでも手は忙しく、足も乱れている様が表れています。私自身、ようやく会社維持のベースが固まってきた、と思った矢先に新規案件で時間と頭を使い、診断士協会のイベントやセミナーのお声がけなど、ありがたい次の手がある一方、子供たちの学校にも行かねばならず、手も足もチリチリバラバラです。そして、多くの方がそうされているように、私も細々した簡単にできることは先に片付け、じっくり考える必要があるものは、後で時間を取るようにしています。

ところが、忙しい時は、このやり方があまり良くないことが最近わかってきました。私自身の年齢の問題もあるかもしれませんが、朝から家事、続いて仕事、夕方に子供の宿題・お稽古事、家事を終えると、子供が寝てからゆっくり腰かけると、もう体だけでなく、頭が疲労して、夜中まで起きていても何度か思考停止に陥っています。そして、知らない間に時間だけ過ぎているので、睡眠不足になってしまいます。そこで、思い切ってかなり早く寝るようにし、だれも起きない3時や4時台に起きて仕事(それも、じっくり考える系のもの)を始めてみると、やはりフレッシュな頭で考えられるし、睡眠時間も夜中の思考停止&ダラダラ夜更かしよりは多くしっかり寝られるようになりました。一人で考えたい、電話やメール、そして家族からも声かけられないで集中したい!!そんな時には、この方法はかなり体力を維持しながら効率を上げられるような気がします。

ただ、かなりのリスクもあります。まだ「しでかした」ことはないのですが、この方法について、ある知人に話してみると「それは、あなたが朝型だからできるんじゃない?私は絶対無理。早く寝たからと言って、早くには起きられない。」うん、確かに疲れているときは、早寝しても早起きは辛いでしょうか?それこそ、締め切りが迫った仕事で、「明日早く起きてやろう!」と決めたのに寝過ごしてしまっては、本当に「手忙脚乱」になってしまいますね!!

手忙脚乱 [shou3 mang2 jiao3 luan4 ]


66.ローマを思う

2016/02/22 17:15 に Sae Goto が投稿

会社を設立して、もうすぐ二年半になります。会社設立前は海外に5年いたこと、その前は旧姓で診断士以外の仕事をしていて、日本国内の営業ネットワークが皆無に近いことから、信頼を少しでも早く得られるよう会社を作ることにしました。そして、コンサルティングだけでなく、クライアントさんの売り上げ増加の貢献分に見合った利益を得られるよう、ビジネス創造をがんばろう、その準備期間には2年はかかるな…と思って、はや二年半です。

おかげさまで、今はそれなりに実績も経験も重ねました。またビジネスもいくつかは着手しましたし、もちろん商談の途中で挫折したり、折り合わなかったりと、安定事業収益を得られるような段階にまで達成したものは…、自信をもって言えるほどではありません。が、何か見えてきたものがあるので、もう少し止まらないで進んでみよう!というところにいます。

一つのビジネスも、育てて黒字化するには数年かかるものなのに、お客さまも、ビジネスも何もないところで2年で何かを仕上げようとした当初の目論見が甘かったというのもあります。一方で子育てをしながらも動き回った甲斐あって、一度お会いした方、一度何かスポットで売買やコンサルでご縁のあった方が、再びつながるようになってきました。そして、チアーマンサポートの事業としても、どういう構成でやっていくのか、具体的に考えられるフェーズに入ったと思います。

お陰様で、私は家族にも恵まれていて、時には背中を押してくれたり、時にはリラックスするよう促してくれたりするので、公私のバランス、気持ちのバランスを保てているようです。だからこそ、どこかで還元していきたい、という気持ちにさせられます。

中国語ではありますが、もともと西洋のことわざ、「ローマは一日にしてならず」、調べてみたら中国語でもありました。「罗马非一日建成(羅馬非一日建成)ルオ・マー・フェイ・イー・リー・ジィエン・チェン」というんですね。中国4千年の歴史とはいえ、やはり古代ローマにも学ぶんだ。そんな古代ロマンを思うと、たった2年やそこらで何かを成そうとする自分がちっぽけに思えます。が、やはり一日一歩、進もうと思います。


罗马非一日建成 [luo2 ma3 fei1 yi1 ri4 jian4 cheng2 ]


65.平常心トレーニング

2016/02/15 12:18 に Sae Goto が投稿

20代の頃は、30代や40代というのが、だんだんと衰える、おばさんになる、というイメージしかありませんでしたが、最近、この年だからできるようになった、まだまだ努力すれば進化できることがあるもんだ、とつくづく思うことがあります。良い意味での開き直りです。

小さい頃から私は褒めて育ててもらったからか、良くできて当たり前で、失敗することや思ったほどに結果がでない、ということを恐れていました。何とか結果を出すためにがむしゃらに(時々健康を害する程であっても…)やってきたものです。それはそれで、若い時の自分の磨き方なんでしょうが、随分今から思えば無駄なエネルギーを費やしてきたようにも思えます。ところが今は「うまく行かないこともある。でも、できる限りの事をやってみよう。」という、多少心にゆとりがあるのでしょうか、それとも色んなパターンを経験してきて「絶対」はこの世に存在しないことを分かってしまったからでしょうか、失敗しても明るく捉えられるように(いや、正しくいうと、やっぱり失敗はいやです。でも、子どももいますし、あまり暗い顔しないようにしよう!と思って頑張れるように)なりました。

うまく行かなくて今は谷底にいるぞ、というような時があっても、道は開けるとの信念をもって動き続ければ、そう長い間暗い気持ちが続かなくなったのは年齢や経験によることなんでしょう。また、自分の気持ちに反して、顔や体が老化していくものですから、あまり良く見せることに拘っても仕方ない、と思えるようになったことも、必要以上に背伸びをしなくなることに結びついたんでしょう。比較的落ち着いて物事に取り組めるようになりました。成功はしたいけれど、良い恰好は見せなくてもよいと思えば、自然体の自分でいられ、より平常心で努力できるんですね。

うまくやろうと思えば思うほど、失敗してしまうもの。中国語でも全くそのままの言葉、「弄巧成拙(ノン・チィアオ・チェン・ジュー)」という熟語があります。大きいことであればあるほど、難易度が高ければ高い程、緊張もするので平常心で臨むことが必要になってきます。それを如何に平常モードに自分をコントロールできるか…これこそ、毎日のコツコツ努力に他ならないのだと思います。その積み重ねで人間は年をとっても中身は成長できるんだと最近実感しています。

さぁ、今週もコツコツ、がんばりましょう!


弄巧成拙 [nong4 qiao3 cheng2 zhuo1 ]


64.意味のある失敗に

2016/02/01 19:43 に Sae Goto が投稿

昨年、某公的機関の専門家登録をし、そのスポットでの経営相談案件で多く学び、且つ頭の瞬発力を鍛える機会をいただいています。もちろん、スポットでなくても、現在顧問契約中の企業さまにも毎回新鮮な刺激をいただいております。こういった業種を問わないコンサル活動を続けていると、それぞれの業界の特性や商習慣を新たに覚える一方で、どんな業界でも基本は同じ、と行きつくこともあります。そのひとつは、失敗の経験が人や集団を強くしている、ということです。もちろん、失敗のままで終わるのではなく、失敗から必ず何らかの回復や原状復帰、あるいは何かを諦めたり方向転換して別の「常態」を創り出した場合に、その過程で強さを身に着けられているようです。

だれも失敗したいとは思わないですし、そのために起業セミナーやコンサルを受けたり、本を読んだりするわけですが、十人十色、企業のたどる道はみな同じではありません。業界、地域、そして時期といった外部要因のほかにも、会社の規模やキーパーソン、そしてそれを支えるチームワークの有無(もちろん、経営者も!)の内部要因など、企業の運命を変える要素はあちこちに転がっています。だから経営者がどれだけ勉強しても、管理をしても、どうしても逃げられない失敗や不運があるものなんでしょうね。

でも、それはそれで、仕方ないものなんだと割り切り、失敗を恐れずに基本となる方針を決めたら腹をくくること。そうすることで、失敗をパワーに変えることができるのだ、ということを、クライアント企業様は教えてくださっているような気がします。では、私たちコンサルタントは、そんな企業さんに、どう接すればよいのでしょうか。それは、私たちの中の「直接&間接失敗からのリカバリー・データベース」をより豊富にして、企業さん内部の経験からは思いもよらないリスクを、より早く察知したり、回復の方法のバリエーションを提案することにあるのだと思います。

チアーマンサポートも複数の人間が活動するようになり、一人ですんなり(いや、勝手に思い通りに)実行していたことも、他のメンバーの意見が入ることで、考えたり妥協したりする必要が出てきました。その時はそんな「調整」のための時間も無駄に思えますが、長期的に見れば、より組織として強くなるためのコミュニケーション力の鍛錬だと思います。すんなりいかないことも、失敗してしまうことも、これはすべて次の一手のバリエーションを増やしてくれる経験値として蓄積されている。中国語では、「吃一堑,长一智(喫一塹、長一智):チー・イー・チィエン、ジャン・イー・ジー」失敗を一度喫すれば、その分知恵がつく、という諺があります。塹(チィエン)とは、防御用のお堀のこと。つまずいたり、穴にはまってしまったり…ということなんでしょうね。今後も停滞や失敗の「お堀」から頑張って這い上がりながら鍛え、より強い会社を作っていきたいと思います。

吃一堑,长一智 [chi1 yi1 qian4, zhang3 yi2 zhi4 ]

63.習うより慣れろ

2016/01/25 14:07 に Sae Goto が投稿

今年に入って、ひとつ始めたことがあります。個人事業主として事業登録をしました。8年前に診断士登録をしたと思ったら5年間の海外生活。3年前に帰国して、株式会社として起業しました。はじめは何ができるのか分からないので…分からないから少しずつ始めるのではなくて、初めて会う相手の方にも安心していただけるよう、株式会社の形を整え、ホームページも作り、顔の写真も出して、持ちネタを発信し続け、パートナー達とビジネス創造の道を探りました。その中で、会社としてできることの他に「中小企業診断士」の協会員であるがゆえに、個人としてお受けすべきお仕事も増えてきました。初めはごく少しだったのですが、ありがたいことに数がまとまってきましたので、株式会社の他に個人事業主としての登録もすることにしたのです。

経理面での手続きは確かに面倒くさいかもしれません。でも、良く考えてみれば「自分の会社ならどうするだろう?」とクライアント企業さんの経営陣の心によりそってコンサルすることを心掛け、自分でも事業をやってみることにしたのだから、個人事業主としての管理の面倒臭さも、共有できたほうが、いいか!!そう思えるようになりました。すると、個人ベースでのコンサルティングの数も増え、さらにお客様のニーズの広がり、そしてどんな業界でも、どんな規模でも共通する悩み、色んなものが見えてきました。まさに、「習うより慣れろ」です。一歩踏み出して会社を作り、受注できるか、やってみないと分からない!!と、出張したり営業したりしているうちに、民間及び公的支援のコンサルも増え、やるべき事業の方向性や実現性も具体化し、相乗効果を感じています。

起業・独立、そして経営については、いろんなノウハウの本が出ています。でもそれは飽く迄、手続き面と基本的理念までです。(もちろん、私も手続きの本や業界特性に関する本は読んでいます!!)でも、自分で経営・運営をするには、自分で道を切り拓き、耕し、ならしていくしかありませんね。中国語なら熟能生巧(シュー・ナン・シェン・チィアオ)、熟すること(慣れること)で巧みになれる、ということ。やりたいこと、やらなければ!と思うこと、沢山でてきました。不安に思っている暇はありません。ただ、何度も何度も繰り返しチャレンジしていくだけです。元旦の計にしては、少し遅めですが、今年は大きな一歩になる、そんな年にしたいと思っています。皆様、よろしくお願い申し上げます。


熟能生巧

[shu2 neng2 sheng1 qiao3 ]

62.拍手は片手では…

2016/01/18 13:28 に Sae Goto が投稿

先週末、1月16日(土曜日)夕刻に、弊社事務所イベントルームにおきまして、第一回のG-セミナーを行いました。20名の方に参加いただき、講師には京都の大王テクノス株式会社社長・張英さんをお迎えしました。また本セミナーの前座企画として、中国インバウンド必須アイテム「WeChat」の体験コーナーを、グリッド・リサーチ株式会社のゴン社長にボランティアでご担当お願いし、皆知っているようで知らない中国ITツールの利用状況と日本でのインバウンド誘致の有効性について、お話いただきました。それ以外にも、グリッド・リサーチの社員の方や診断士仲間、上海時代の同僚や御取引先など、本当に沢山の方のご支援や応援をいただき、盛会に終えることができました。

ありがたいことに、本件のアンケートにも「この度は、日中間のビジネスにおけるトラブルを未然に防ぐ心構えの秘訣を教えていただきました。」、「官製セミナーやコンサルタントのセミナーにはない説得力のあるセミナーでした。現場の生々しい話題から、様々な気付きがあった。その一つは、本来の機能に関わりの無い品質への拘りは、海外では通じないものということです。」といった、嬉しく、有難い感想を多数いただいております。

弊社としては初めてのセミナー事業で、御見苦しい点も多々ありましたが、今回の反省点を次回に活かしながら、より「人と経営を元気に!」していけるG-セミナーを企画いたしたいと思います。

さて、こういった経験から学んだのは、一人では何もできない、ということです。チアーマンサポートは、一人の会社でスタートしており、一人で考えて実践した部分は少なくないかもしれませんが、今回のセミナーには多くの方々のお手伝いやご好意、そしてご協力をいただいており、それなしには為し得なかったことは断言できます。頂いた多くの拍手、これは片方の手では決して鳴ることがことがない、という中国語のことわざ「孤掌难鸣(孤掌難鳴):グー・ジャン・ナン・ミン」にもあるとおり、直接・間接的にお力添えをいただきました皆様に感謝の気持ちを忘れることなく、今後も努力してまいりたいと思います。何卒宜しくお願い申し上げます。


孤掌难鸣

[gu1 zhang3 nan2 ming2 ]


61.千里の道も

2015/12/21 0:38 に Sae Goto が投稿 今年最後のコラムになりました。先週秘書とも忘年ランチをしたり、年賀状を用意したりはしているのですが、まだ年末の実感が湧きません。それは、ありがたいことに、前向きに次にやるべきことがドンドンと、社外から入って来ているからでしょうか。いままで撒いてきた色んなことが、芽を出しつつある、そんなフェーズにようやく当社も入った気がします。

どうすれば売上があがるのか、どうすれば効率化が図れるのか…ご相談をいただくと、中小企業診断士資格を取得するのにそれなりの時間を学習に費やした身としては、習った理論に答えを求めたくなってしまうものですが、実際にそれでは教科書通りの答えはできても、その企業にとって、生きた答にはならないことを、改めて感じています。では、クライアント様の企業にとって、生きた答を示すためには…といっても、これまで長い歴史を積み重ねて来られた企業様のお悩みを、数時間で片付けられよう訳がありません。でも、できるだけ早く状況を読み取り、できるだけ経営者の気持ちに寄り添った考え方に自分自身を当てはめることは、トレーニングで可能になります。また、コンサルティングの経験だけでなく、自分も事業に携わることが、言葉の裏付けを与えて重みのあるアウトプットができるようになるだけでなく、受け手にとっても価値が高い気づきとなることも、以前から「そうかな…」とは思っていましたが、今になってやっと、その仮定は正しかったと確信できるようになりました。

ただ、実際事業を始めてみるとなると、そう簡単ではありません。(それを実感できるだけでも、経営者さんの気持ちに一歩寄り添えると思っていますが…)それでも、やってみる。どうせすぐには回答はでない。でも、自分がアドバイスするように、自分自身が事業を運営して、本当にその通りになるか、メーカーさんが品質テストをされるのと同じように、私達コンサルタントも提供するサービスのチェックを行うことは非常に大事なことだと思います。そして、一人の力ではどうにもならないことも、ネットワークを持ち続け、拡大することで、一人の可能性がぐっと大きくなることも、この一年で再確認いたしました。

千里の道も一歩から、「千里之行、始于足下(千里の度をするなら、足元から始めよ)」転職したのだから、独立したのだから今までのキャリアを活かして…!!!なんて思わず、今必要で今できることを、こつこつ積上げて、また時代に合せてモディファイさせていきたいと思います。

本年もお世話になりました。来年も何卒宜しくお願い申し上げます。


60.人との広がりが、シゴトの広がり

2015/12/14 15:26 に Sae Goto が投稿

今やインターネット上のバーチャル空間で「つながり」「絆」を持つ時代となりました。私も、実年齢の割には、バーチャル空間での買い物や仕事を活用している一人です。いや、実際に子育てや家事も担当する身としては、バーチャルで済ませられるならば、お店や取引先に往復する時間が省略でき、子どもの近くにいても色んな事が一度にできるので、こんなに幸せなことはありません。リアルだから良い、バーチャルだから良くない、というような線引きは、スピード感と行動範囲の拡大を考えると、殆どないと言っても過言ではありません。

ただ、それは、「つながり」や「絆」の相手と、本当に意思の疎通ができている、と確証できる場合に限られます。

とかく、人付き合いというのは、面倒なことが多いものです。特に師走、あちらこちらと、所属する団体やグループの忘年会があります。つながりを強くするための有難い会でもあり、連日続くと、勝手にさぼってしまいたくもなります。(幹事の方の気持ちも忘れて…)でも、いや、だからでしょう。そういった友達付き合いを、無理までして、とはいいませんが、大切にすることで、得られることは大きいのです。

先週は、お知らせにも書きましたが、弊社とグリッド・リサーチ社とで協業する中国のスマホアプリ、WeChatの勉強会を開催しましたが、その日の朝、子どもが体調を崩しました。普段は元気なのに、そんな日に限って、です。でも、ファミリーサポートさん、近所のママ友、普段からのネットワークが一大事を助けてくれました。お陰で、その勉強会は予定通り開催でき、弊社事業に協力的な方にもまた出会うことができました。

こうやって、ちょっと立て込むと「面倒だな…」と思うような人付き合いも、非常事態にはパワーを発揮してくれるのです。「多一个朋友,多一条路(ドゥオ・イー・ガ・ポン・ヨウ・ドゥオ・イー・ティアオ・ルー)。」友達が一人増えれば、可能性が一つ拓ける。持つべきものは、友達だ、という訳です。特に一人起業した弊社のような会社だと、サポーターが増えることは本当に有難いことです。株式会社チアーマンサポートは、まだまだ「サポーテッド」と、支援されている状態ですが、そんな繋がりにも感謝の気持ちを忘れず、今後も頑張って行きたいと思います。


多一个朋友多一条路

[duo1 yi2 ge peng2 you duo1 yi1 tiao2 lu4 ]


59.思いやり・リレー

2015/12/07 0:01 に Sae Goto が投稿

プライベートの話ですが、週末、久しぶりに映画を見ました。実話に基づき日本・トルコで共同制作された「海難1890」という映画です。トルコ海軍の船が和歌山沖で座礁、乗組員が海に放り出されたのを地元の漁民が助け、それから95年後にイランに残された日本人をトルコ救援機が救出したという、国境と時を超えた真心の“やりとり”のお話でした。映画の中では助ける人・助けられる人を95年後も同じキャストが演じていましたが、実際には映画の中の二つの出来事は95年もの隔たりがあり、両事件をリアルタイムで体験した人は非常に少ないでしょう。でも、他人を思いやる気持ちが、こんな時空間のスケールでやりとりされるなんて、夫々の時代を生きる人間が、語り継ぎ、感動し、また語り継いだのですね。私たちも自分ができる小さな事から大きなロマンのパーツを作って行けるような気がしました。

さて、現実のお話に戻しましょう。「業績が良い会社は雰囲気もよい」、というのは一般的に言われていることながら、私もそれを実感します。業績が悪いから雰囲気が悪くなるのか、雰囲気が悪いから業績も悪化するのか、その辺りは色んな要素が絡んで負のスパイラルを生むのでしょうが、雰囲気も業績も良くない組織の共通の特徴として、「だれもボランティアで率先しようとしない」ことが挙げられると思います。「どうせやっても何も見返りが無い」「だからやるだけ損」という空気が常態化し、構成員は皆背中を向け、「提案」「改善」「発言」が挙がることなど到底期待できない。そんな空気で良い仕事はできないですよね。

「情けは人の為ならず」と言いますが、誰かの為、組織の為、と思いやりを持って行ったことは、必ず自分の身にかえってくるということ。これは初めに書いた映画の話にも言える事ですし、その反対が、皆背中を向けた組織、ということになるでしょう。状況が良くなくても、皆が問題意識を持ち、一緒にこの苦境を乗り越えようと結束力が高まれば、その場の雰囲気は明るく前向きになり、不思議とパワーが湧いてくるものです。「与人方便,自己方便。(ユィー・レン・ファン・ビィエン・ズー・ジー・ファン・ビィエン):人にとって都合良くなれば自分にとっても良くなる。」、やはり中国語でもこのような考えを示す言葉はあるんですね。

「うちの会社は誰も進んでやってくれない。やりたがらない。」と、消極的な雰囲気を嘆く経営者の方、まずご自身から「社員のため」に行動をされては如何でしょうか?時間がかかることかもしれません。でも先手必勝、継続は力なり。私も自分磨きのため、思いやりの心と行動力を、これからも鍛えて行きたいと思います。


与人方便自己方便[yu3 ren2 fang1 bian4 zi4 ji3 fang1 bian4]

58.漢方医のように

2015/11/30 9:50 に Sae Goto が投稿

業務効率をアップする方法に、パターンやマニュアルを作って、業務やサービスの均一化を図ったり、一定単位の作業時間短縮を推進したりすることがあります。これは主に、同じことを大量にかつ均一に繰り返し生産・処理するときに有効な方法です。もちろん、環境の変化や顧客の嗜好の変化によって、その方法も時と共に変更・改善していかねばなりませんが、基本的に如何に基本に忠実に、如何に高速でできるかに、パワーが注がれます。

しかしながら、コンサル事業の顧客インターフェースでの業務というのは、どうもこの手の効率化は難しいようです。理由はいわずもがな、企業の中身は十人十色だから。もちろん、コンサル案件の数をこなす中で、「このパターンの企業には、こういうやり方で」「あのパターンの企業にはあの方法で」と、自分なりに経験データベースから接し方やアドバイス内容を検索し対処してみるのですが、どうも過去の経験が100%活きることは(私自身のコンサル経験がまだまだ未熟であることも大きな要因ですが)なかなかありません。特に「その企業さまの為に」という思いがあればあるほど、「デフォルト」や「スタンダード」から遠ざかってしまう気がします。

中国の四字熟語「对症下药(対症下葯:ドゥイ・ジェン・シィア・ヤオ)」とは、漢方のお話から来ているようで、中医学では同じような風邪でも、その人の体質によって異なるお薬を処方することから、この言葉が生まれた、と聞いたことがあります。いつの世も、中小企業の経営者の悩みのトップは「売上が伸びない」ですが、その業界自身がどうなのか、外国企業や競合他社の勢力がどうなのか、市場がどうなっているのか、そして企業の中身が(ヒトやモノ、そしてカネ)がどうなっているのか、この組み合わせを考えずして、あるべき道を示すことは不可能ですよね。

とすると、アドバイスのパターン化ではなくて、アドバイスをアウトプットするまでの思考のパターン化ぐらいまでは可能なのかな、と思ってみたりして。いや、パターン化ではないですね。「対症下葯(ドゥイ・ジェン・シィア・ヤオ)」、それぞれの企業さまに対して最も良い方法を導き出す、という理念は変わらない、ということでしょうか。それならコンサル事業はパターン化や効率化は図れない?!というのも「コンサル事業者」としては面白くないので、弊社では一中小企業としてビジネス創造を行っております。すでに何度か、日中の中小企業さまと取組をさせて頂いていますが、その経験こそが、コンサルに活かせるのだと思っています。今週も両方予定が入っています!それぞれに良い薬をアウトプットできますように!!

对症下药[dui4 zheng4 xia4 yao4]

57.後の祭り

2015/11/16 15:38 に Sae Goto が投稿

実は昨日、子供の将棋大会に付き添ってきました。私自身、恥ずかしながら、将棋のことは一切わかりません。子供たちがサッカーを習い始めた時も、自分自身の経験がないことを始めたことに対して、応援はしましたけど、どうやって練習すればいいのか、どうやって上手くなれるのか、子供と一緒に学んだような気がします。そして、途中のチームプレーや技術はともかく、「相手のゴールにボールを入れた方が得点になる」という、極めてわかりやすいルールと目標のもと、親も必死になって応援したものです。ただ、将棋はそういう訳にはいきません。

第一、スポーツではありませんから、屋内で大声を出して応援できないですし、私自身ルールがわからないのですから、静かに集中して頑張ってくれることを祈るしかありません。何となく、勉強してみたいような、でも奥が深くてそこまで自分で理解を深めようという気力がないような、そんな中途半端な気分です。そうやって、親自身が子供と共に歩むことを辞めてしまうと、もう子供の好奇心は無限大、あっという間に親の見えないところに行ってしまいます。一緒に勉強しようなんて思ったころには、もう追いつけません。後の祭りです。

ちょうど今の私にとっての将棋にぴったりの言葉を見つけました。後の祭り。手遅れ。中国語では「马后炮(馬後炮)マー・ホウ・パオ」といいます。馬の後で大砲を(?)を鳴らすから、タイミング的に遅い、そういう意味かと思っておりましたが、実は中国将棋のことだったようです。中国将棋の「馬」の駒の後に「炮」の駒を控えるということらしいです。日本の将棋も中国将棋もわからない私は、これ以上のコメントは控えますが、子供の成長と同様、社会や環境の流れの速さについていくかどうか、かなりこじつけながら同じことかな、と思っています。

新しいものに感激したり、刺激を受けることはあっても、それを自分の生活やビジネスに取り入れるのは、今までやってきたことを手放したり、導入にあたって多少のストレスや出費、エネルギーが必要となることから、だれでも若干はおっくうになります。でも、みんなが取り入れてから始めていては、リスクもない代わりに、先駆者利益も享受できません。でも、だれでもリスクは最小に抑えたい…。ここはビジネスセンスの見せ所ですよね。いやいや、単に「勘所」と言っているのではありません。これまでの経験に基づいた勘のほかに、客観的で定数的な根拠のある分析も大切です。会社で行うなら、企業としての判断が必要だからです。

新しいものに対して、どこまで勇気をもって臨んでいけるかは、それにどこまで対処できる準備ができているかにかかっているのでしょうね。将棋に関しては、もう私は子供に教えてもらうことしかありません。でも、子供たちが将棋の世界で新たな境地に挑んでいくことについては、十分準備をして、緊張はするだろうけど、よい緊張とパワーに本番化けられるよう、手伝っていきたいと思います。そして…そのほかの、そうですねぇ、仕事の部分に関しては、だれにも負けない部分をもっともっと磨いて、チャンスが来た時に手遅れに、そう、馬の後の炮にならないよう、感性と実力をつけていきたいと思います。


马后炮 [ma3 hou4 pao4]

56.小さな手で、こまやかに。

2015/11/09 12:06 に Sae Goto が投稿

大きな手に大きな脚。中国語読みすると「大手大脚(ダー・ショウ・ダー・ジィアオ)」、お金遣いが荒い、という意味なんです。大きな手でガサっとお金を掴んで、大きな脚でお金を踏んでいくような、そんな雑でガサツなイメージがこれらの漢字から湧いて来ませんか?弊社は設立から3年目を迎えておりますが、この4字熟語のイメージ、設立時のことを何となく思い出すのです。


会社の設立、事業の創業については、それなりの準備や計算をするものですが、公的な届け出や印紙代、オフィスや工場など、場所を必要とするならその保証金や地代家賃、そして通信や事務処理には必ず必要なOA機器やそのインフラ環境。営業拡大のためのHP制作や名刺、文具…。あまりに色んなことでお金が出て行き、しかも届出や登録などでアチコチ大股で動き回らないとだめなので、知らない間にお金が出て行ってしまいます。お金の計算をしようにも、まだ慣れていなかったり、あれこれ事務手続きが多すぎて後回しになったりで、本当に始めのうちに収支確認がおろそかになったりするものです。「大きい手」というのが、雑な作業イメージであるだけでなく、小回りの利かない、どんくさい手にも思えてきます。


このような事態を何とか阻止するには…やっぱり手も脚もこまめに動かす、働かせることなんでしょうね。収支計算はこまめかつ効率的に行い、現場や営業先へは足繁く通い、常に収入と支出のバランスを把握しているような状態にすること。3年目に入って、一通りの動きは一段落して、弊社のルーティンの業務や収支と臨時の業務・収支の感覚が少しずつ明確になってきました。一方で第二弾・第三弾のビジネスへの参画を手掛けている今、どうしても取引先が増えたり管理すべき事項が増えてしまって、ひとつひとつのことが雑になってしまいそうですが、何分私も他人様の会社組織に対して、その管理方法のうんちくを述べる立場。自分で放蕩経営をしていてどうする!?と、自分自身を鼓舞している状態です。


お金の問題は、本当に多くの企業様が抱えておいでの経営課題なんですが、使うべきところではある程度思い切って使い、締める所では思いっきり締めて行く、このメリハリが大事なんですよね。でもどの程度かというのは、業種や企業規模、その立ち位置によって違います。そのさじ加減をマスターすれば、経営管理はもう、掌握できたようなもの…でしょうか?大きな手ではなく、敏感な小さな手でしっかりコントロールしたいものですね。


大手大脚 [da4 shou3 da4 jiao3]

55.苦しくない時も神頼み

2015/11/02 15:34 に Sae Goto が投稿

気候がよいこともあり、私生活面では地域等のイベントが多くある一方、そういう時に限って各種相談やコンサル案件、そして会議など、びっしり詰まった一週間でした。まだ子育て世代でもある私にとっては、家事育児に独立事業を回していくことは、スケジュール表に書き出してみると易しいものではありません。でも、ありがたいことに私の性格の図太さからか、出張の度に親戚に助けを求めたり、ファミリーサポートさんに着て頂いたりして、すっかり「普通に」助けを求めています。また私の仕事の内容を理解してくれている家族も、非常に協力的に動いてくれるので、「また出張行くの~??」とは言われますが、話し合うことで一回一回、小さなイベントを過ごしてきています。

子育ては、一人で抱え込むものでは無い、他人を頼っていいんだ、と悟ってから既に10年以上経っております。子育てで学んだことは本当に沢山あるなぁと自分でも感心してしまいますが、仕事でも全く同じだと思います。失敗やリスクを予め想定し、事業を進めることはできるのですが、必ずしも想定通りの失敗がやってくるわけではありません。いや、むしろ失敗とは、想定外のところで起こるものです。だからその失敗状況の把握や原状復帰に時間と労力が費やされてしまうのです。その時に、平常部分が平常で保たれなくなったら…。家庭では掃除等、多少さぼっても直ちに支障がでないものもありますが、やはり食事のこと、子供の学校のことなどは、止めることができません。また会社でも、週次、月次のルーティンワークは止めてしまう訳にもいきません。

そんな時に、急に誰かにお願いしようとすると、一から、いや、ゼロから説明・お願いしなければならず、早く失敗の回復にかかりたいのに、なかなか平常部分から抜け切れません。そんな時の為に…というのは、非常に都合の良い話かもしれませんが、普段からお願いするということ、情報を共有すること、というのは、どんなに面倒くさくても、多少コストがかかっても、非常時にパワーを発揮するのではないかと思うのです。

「苦しい時の神頼み」とは、中国語でも同じような言い回しがあります。「平时不烧香,临时抱佛脚(平時不焼香、臨時抱仏脚):ピン・シー・ブー・シャオ・シャン。リン・シー・バオ・フォー・ジィアオ」普段は焼香をしないのに、臨時(何かある時)に仏の足にすがりつく、ということ。お願いする方も、労力や信用、そして気持ちよく手伝ってもらえるような気配りが必要です。それを普段から出し惜しみすることなく、ネットワークを確立しておけば、いざと言う時も、きっと力になってもらえ、失敗の立て直しに注力できる、私はそう思いながら、皆さんに引き続き、ご協力をお願いしようと思います!!もちろん、感謝の気持ちを忘れずに。


平时不烧香 临时抱佛脚

[ping2 shi2 bu4 shao1 xiang1 lin2 shi2 bao4 fo2 jiao3]

54.決まり文句じゃ…

2015/10/26 10:38 に Sae Goto が投稿

先週は公的機関のスポット経営相談の他、弊社事業の関係でパートナー企業さんと打合せをしたり、九州出張にも行ったりしました。公的相談であれ、民間事業であれ、私達に求められているものは何なのだろうと、改めて考えてみると、専門的な知識や専門家と言えるような過去の経験(も、大事なんですが)に留まらず、現在にどこまでキャッチアップしているか、現在の社会の流れや実状の動きを、どこまで積極的に、どこまで広範囲に取り込んでいるか、なのかな…と、思いました。

中小企業診断士の試験では、あまりに科目が多くて範囲が広く、二次試験に面接まであり、さらに5年で更新の際も実務従事や更新研修を受けていることが条件になっている、多少メンドウクサイ資格でもあります。だから、合格して登録してしまうと(その前に3度の実務補習もあるのですが…)コンサルタントという「伯」が付いたと勘違いしてしまい、それまでの経験値に頼ってしまうことが多くなるのではないか…と考えてしまいます。

飽く迄これは自分への戒めと思って書いております。特に子育てをしていると良く分かるんですが、子供は「○○しなさい」と言った大人が、きちんと「○○している」かどうか、矛盾がないか、確かめたがります。幼稚園や小学校低学年ぐらいまでは、何でも「はい!」だったのが、(それは素直だったのではなくて、そういうリズムになっていただけ…なのかも!!)小学校中学年から高学年にもなると、だんだんと言葉の意味をしっかり理解しようとします。すると、この大人が自分に向かって言っていること、それを自分もやっていないのに、何が命令だ!!という思考回路で反抗へと向かったりするのです。

“自分はもうやってきた、だからやらない。既に既知になっていること、だから疑わない”、では、進歩がないどころか退化が進んでしまいます。また、いろんな業種の企業経営者さまに対しても、アドバイスすることが(もちろん、基本的な要素は同じなので、ある程度そうなることは否めないのですが…)ワンパターン化し、所謂「お役所ことば」「決まり文句化」してしまうのです。

もちろん、経営管理上、大事なポイントはどの企業にも言える事だったりするのですが、ただの慣れあいや、悪い意味での「効率化」にならないよう、日々新しいものに目を向け、関心を示して頭を活性化しておかないと…と思っています。中国語では「官僚のことば・きまり文句を言う」を「打官腔(ダー・グワン・チィアン)」と言います。官僚のことばが「官腔」で、「~する」を表す動詞が「打」です。基本を大事にしながら、いつも新しいものに接して、刺激を受け続ける若者脳のコンサルタントでいられるよう、今週も頑張りたいと思います。


打官腔 [da3 guan1 qiang1]

53.お重箱ではなくて牛の角

2015/10/19 9:01 に Sae Goto が投稿

細部にばかり注目し、重要度の低い些末な事柄を大きく取り上げることを、「重箱の隅をつつく」と言いますよね。中国ではお重箱が無いからか(?)似たような言葉でも「牛の角の先から(キリなどで)穴を開ける、または潜り込む」という意味で「钻牛角尖(鉆牛角尖):ズゥワン・ニィウ・ジィアオ・ジィエン」という熟語があるようです。

この言葉を今日取り上げたのは、私自身が今、ある企業さんと一緒に商品開発と販売戦略について議論をしている途中で、思い当たる節があったからです。もちろん商品の内容については、何も申し上げられませんが、かなり深く、また色んなケースについて議論が及ぶため、一度の打合せも長時間で互いに非常に消耗してしまいます。また、互いにどうしても譲りたくない、というポイントについては、どちらも話し方に余裕がなくなり、相手の事を思いやるエネルギーが少なくなることから、多少攻撃的な言葉さえ使ってしまいます。

そんな時です。いや、正確に言うと、その打合せはそれで終わり、一旦持ち帰って再度自分で反芻してみたり、他の方の意見を聞いてみたりすると…あれあれ?案外揉めていたところは、本丸ではなかったかな?そのポイントは各論であって、もっと大局的にどうやって持っていくべきか、何をゴールにするべきか、考えないといけなかったかも…!!!と、自分が必死になっていたポイントの小ささに、何となくこっぱずかしいような気分にさせられてしまいました。

「重箱」の言葉がよく聞かれるシーンとして、お役所のような、とか、閑職の管理部門が、自分の仕事を作るかのように、つまらないことでこだわる、ということが多いかもしれませんが、案外忙しさに紛れて、頭の中がヒートアップしたときも冷静さを欠いて本質を見失うことがあるものです。一人会社から卒業した今、社長がこれではいけませんよね。いや~、中国の成語から学ぶこと、経営から学ぶこと、本当に沢山あります。時間的に余裕ができるのはまだまだ先の事かもしれませんが、いつでもベストな判断ができるようなカラダとココロのコンディションを保つこと、そして限りある時間とエネルギーを最も効率的に配分できるスキルを磨くこと、これは益々努力せねば!!と痛感した牛の角のお話でした。


钻牛角尖 [zuan1 niu2 jiao3 jian1]


52.文殊じゃなくて、諸葛亮

2015/10/04 23:35 に Sae Goto が投稿

10月になりました。空気はすっかり夏から秋に入れ替わり、青空にたなびく雲もすがすがしいですね。近頃の小学校は公立でも三学期制ではなく、前期後期の二期制になり、10月後半から後期が始まるところも多いようですが、弊社も2年間のF/S(フィージビリティ・スタディ)期間を終え…といっても、登記上F/S会社の区別がある訳ではなく、私の頭の中のプランの話なんですが…いよいよ攻めに転じるときが来た、というイベントがあります。

チアーマンサポートのメンバーが増えました!!もともと、出産・育児を経験して、会社員で仕事をしていくことに限界を覚え、中小企業診断士の資格を取りました。しかし資格が取れたと思ったら海外駐在で予想外の経験をシンガポールと上海で積み、その後ようやく帰国して独立。「一人で育児をしながら裁量型の仕事をしたい。」という“希望”と、「コンサルティングそのものの需要は中小企業にとって然程大きくなく、それよりも一緒に事業をしてほしい要求が強い。一緒に事業をする方が、私にとっても個人事業主としてではなく、組織として大きくなれるかもしれない。」という“期待”の両方を併せ持ちながら、営業やコンサルティングにチャレンジしてきました。

すると、前者の“希望”は、子供の成長で育児の負担が徐々に小さくなり、希望度合(?)が少しトーンダウン、一方後者の事業への“期待”は、“確信”へと近づいてきました。そして育ててきた案件が複数成長してきたこともあり、一緒にその事業を育てて頂けるスタッフに来てもらう頃かな…と思い始めた次第なのです。アルバイトであれ、短期であれ、人を雇用する際、組織のリーダーとしてどうあるべきか、これまでコンサルしてきたことの実践が自分にも問われ、労基面での手続の知識も必要になってきます。これら全てを自分の経験値として取り入れると同時に、一人では考えもしなかったことを、立場や性別、年齢の違う人を集めることで、その人数以上のパワーを発揮していけるよう、尽力していきたいと思います。

さて、そのことを日本語では「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、中国語では「三个臭皮匠,赛过诸葛亮」(サン・ガ・チョウ・ピー・ジィアン、サイ・グオ・ジュ・グー・リャン:三人の平凡な能力の人間が集まれば、諸葛亮も超えることができる)と、文殊ではなく諸葛亮となっています。なぜ平凡な人が臭い皮の匠なのかは良くわからないですが、今までのチアーマンサポートになかったチーム力をこれから発揮していけるよう、がんばります!!今後共、何卒宜しくお願い申し上げます。

三个臭皮匠,赛过诸葛亮

[san1 ge chou4 pi2 jiang4,sai4 guo4 Zhu1 ge3 liang4]


51.机でも紙でもなくて

2015/09/27 23:35 に Sae Goto が投稿

新市場の開拓や新製品開発の際、その商品の市場規模の調査や、販売戦略の策定が重要であることは言うまでもありません。特に、中国は一つの省だけで日本の人口を超えるところもある大国なので、目標市場の設定や売り方が日本流のままだったり、無策で来てしまったりすると、太平洋に石を投げ込むような、市場進出になってしまう可能性大です。

かといって、マーケティング活動ばかりやっていても、ビジネスとしては一歩も進まないばかりか、人も社会も動いていく中で、いたずらに時間を過ごし市場自体に変化を来してしまうかもしれません。何事も完璧はないのだから、(決して「いい加減にして」という意味ではなく…)テンポよく段階を踏んでいくことも、これまた大切です。

先週は、弊社の中国パートナー企業から出張者が来られていたため、一緒に東北地方を出張し、現地の企業さまを訪問致しました。東北地方に限ったことではないですが、今後海外市場を検討される企業さまは、まず「どうやって売っていくことを考えたらよいのか?」という疑問にぶち当たり、実際に今回のように海外からの買い手から「今後継続的に取引したい」と言われた場合、嬉しい反面「どのように進めればよいのか?」という問題にも直面します。今回の出張では価値観の異なる売り手と買い手の会話を、何度も通訳する機会に恵まれ、私は今後の中小企業の国際化に関する問題解決の要点を二点確信しました。

ひとつは、やはり冒頭に書いたマーケティングと戦略の策定です。重要なポイントだけあって、このフィールドについては、得意としているコンサルタントさんは非常に沢山おられます。もうひとつは、テンポよく段階を踏んでいくこと、つまりビジネスを実践に移していくことです。コンサルタントとしては、プロジェクトマネージャーとか、タイムキーパーみたいなイメージかもしれませんが、私は中小企業さまのコンサルタントとしては、「一緒にいてほしい、一緒にやってほしい」というニーズに応えることだと、考えていますし、今回の出張でもそうであることを再確認しました。

日本語でも「机上の空論」とはよく言いますが、中国語は机ではなく、紙の上で兵を談じる、「纸上谈兵(ジー・シャン・タン・ビン)」と言います。いろいろ情報を集めて、戦略を練って提案すること。そこから一歩進んで、戦略実践となると何だか怖い、一人では不安だ、と二の足を踏まれている企業さんに、勇気を持って成功を掴みとっていただけるよう、時には背中を押し、そして一緒に歩んでいける、ビジネス・パートナー会社にチアーマンサポートを育てていければ…と思って今週もがんばります!


纸上谈兵 [zhi3 shang4 tan2 bing1]

50.身体は柔軟に、耳も!?

2015/09/14 11:09 に Sae Goto が投稿

先週は毎日のように雨が降り、私の日課、いや、「週二課」にしているジョギングができませんでした。そして、今朝の久しぶりの公園で、身体が硬くなっていることに気づきました。先ずゆっくり走り始めて身体を温め、「大きな筋肉を伸ばして、大きな血流を作ろう!」と意識することで、身体の硬い感覚は随分改善されました。具体的には、肩甲骨周りの筋肉や大腿筋のストレッチ、鉄棒にぶら下がっての腕や背中の筋肉の引き伸ばし…などです。すると、体の中の水分(?)が巡りだし、胃腸が動き出すのもわかります。

私自身は中学の部活は文化系でしたが、高校は文化系に加えスキー同好会も兼部し、大学になったら体育会に入るようになり、普通の流れと反対かもしれませんが、年齢が大きくなるほど運動するようになったようです。また、さらに成長が止まり、出産を経験して別の体になってしまったら、これまた自分の身体がどういう状態になっているのか強く意識し、悪い部分の改善はどうすればいいのかを気にするようになりました。

年を取る、経験を積む、ということは、要領を得ることだけでなく、意識のポイントがより正確になることなんでしょうね。多少無駄や無茶をしても若さでリカバーできたことが、どんどんできなくなる。その分経験値から生まれるポイントの意識で、身体を鍛えたり、好調を保ったり、また一段上の仕事を覚えたりできるのかな、と思っています。

ロシアで日本語教師をしているときも、そうでした。幼稚園児からビジネスマンまで、広い年齢層に日本語を教えましたが、子供はまず真似から入ります。でも大人は文法を理解しないと、発声しようともしません。ポイントを意識して上達しようとするのです。

今日のことば「耳朵软(耳朶軟:アール・ドゥオ・ルワン)」、耳が柔らかいという事ですが、これは耳が柔軟、なんでも話を聞く、ということから自分の考えを持たないで、人の言う事ばかりを信じてしまう、と言う意味なんです。他人の意見を聞くこと、傾聴すること、そして同調すること、とても大事なことですが、そこから自分なりの進歩を遂げるには、そのお話からポイントを自分で抽出すること、そして自分の動作に移すときにポイントを意識すること、になるのかな…と思っています。身体を動かして、健康を保つ一方で、年齢を重ねて人として、仕事人として成長するには、人の話や溢れる情報をインプットするだけでなく、頭を働かせてポイントを意識する訓練を続ける事なのでしょうね。ふう、ずっとトレーニングは終わりません。楽しみましょう。

耳朵软 [er3 duo ruan3]

49.過去を食べても…

2015/09/07 8:43 に Sae Goto が投稿

今日も常々自戒していることのお話です。過去の栄光や実績を頼りにせず、常に新しいことを受け入れ学ぶこと。一般的な例でいうと、キャリア転職。私も大卒後、日本語教師、中小貿易会社、総合商社、ITベンチャーと、多すぎるぐらいの転職をしています。特にITベンチャーに転職した時、転職気運の高まりや、IT業界を中心に起業ブームもあり、過去に積んだ経験を元にキャリアアップを図る方が身近に沢山おられました。で、実際キャリアアップになっているかというと…皆がそうではないのですが、転職組の集合であるITベンチャーでは「前の会社ではこうだった」主張の衝突(特に大企業出身者!!)が多いことに気づきました。今迄とは違う環境の中で、出自(?)の異なる人と別の新しい事業に取組む時、判断基準が前(未来)でなく後ろ(過去)になってしまうことが多いのです。

もうひとつ、私自身の「過去だけを頼って失敗した」例。それは2010年に2年滞在したシンガポールから上海に転居した時のことです。シンガポールに渡った時は、子供は3歳と0歳。子育てだけで大変な時期でもあったのは言い訳なんですが、中国語も英語もそれなりにできた私は、両方の言葉が通じるシンガポールでは、中国語で詰まれば英語で、英語で詰まれば中国語でと、今迄習得した範囲内の言葉しか使いませんでした。もちろん、日本にいる時より多少は頭の中の語学の引き出しが軽く開け閉めできるようになったかもしれません。でも、上海に転居が決まった時は、かなり後悔しました。英語も中国語も、何も自分自身の中で更新されていなかったのです。そこで中国に引っ越すと、すぐに英語と中国語の家庭教師派遣を申込み、英中両方の読み書きも含めたビジネス用語を勉強しました。やはりやる気になれば、それなりに力が発揮できるもので、それなりの成長が感じられ、中国語は現地で文化講座や司会などもさせていただく機会に恵まれました。

今の仕事も同じだと思っています。私は中国語を学び、中国で日系企業様のお手伝いの経験もあります。商社で国際ビジネスの経験もありますし、ITベンチャーにもいました。でも、それは過去の話。これからの自分の価値を上げるのは、未来に向かう力がどれだけあるか、でしょう。「吃老本(チー・ラオ・ベン)」、中国語の「本」とは、「成本」等と言い、資本・元手の意味があります。昔の資本、昔取った杵柄を食べて、それ以上努力しないことを指します。ホームページなどで、自己PRをするときは、どうしても過去の実績を大きく表現することになってしまいますが、それはそれとして、大事なのは前に、未来に、新しさを恐れず取り入れ、考え、進んでいく「動き」「勢い」を保つことだと思います。過去の経験を生かして起業された皆さん、ともに歩んでいきましょうね!!

吃老本 [chi1 lao3 ben3]

48.二歳です!

2015/08/31 8:51 に Sae Goto が投稿

とうとう今日で八月も終わりですね。子供達の夏休みも終わり、そして弊社の第二期も終わりです。決算とはいえ、まだF/S(フィージビリティ・スタディ:いろんな事業ができるかどうか、調査したり試行したりすること)段階の弊社は、売上ラストスパート!!!というよりも、まずは必要な証憑を集めるのに取引先のご協力を求めている状況。そして、お陰様で何とか、(一応早めから準備もしていましたからね!!)決算関係で必要な書類は、揃いそうです。

そういえば、いろんな書類を取引先にお願いするにも、証明書や契約書の捺印には企業内でも権限があり、責任者の方にご理解頂かないといけません。その辺りも、もともと経営トップの方とお話する機会が多いので、非常にスムーズに色んなご協力に応じていただけたように思います。

さて、そんな「ゴーサインを出すこと」「便宜を図ること」、中国語では「緑(青)信号を灯す」、という表現で开绿灯(開緑灯:カイ・リュィー・ダン)と言います。時にとっても積極的な「攻め」を行う時の、ゴーサイン、時に「まぁ~仕方ないな。良いだろう。やりなさい。」みたいなゴーサイン。いずれにしても、赤だったものが緑に変わる、動き始める、というような、ちょっと嬉しくなる言葉です。

チアーマンサポートも、二歳です。独立して二年といっても、私にとっては、二回出産・育児で仕事を離れ、日本を離れ、日本に居る間は職場では旧姓で通していたのに、海外ではパスポート名でしか通用せず、海外でそれなりに色んな経験をさせていただいたものの、帰国して独立しても「中小企業診断士の後藤さえ」を知る人は殆どいない…そんな状況で国内での起業はとても大きなチャレンジでした。でも、なんとか育児をして自分も鍛えられながら多くの方を知り合いになることができました。すこーしですが、ビジネスの形もできてきました。

第三期は、やはりすこーしずつながら、アクセル踏んでみようと思います。まさに「开绿灯」、ゴーサイン出して前進あるのみ。みなさま、どうかご指導アドバイス、よろしくお願い申し上げます。


开绿灯 [kai1 lv4 deng1]

47.御託は要らないから…

2015/08/23 23:05 に Sae Goto が投稿

八月前半は、中国パートナーとの国内出張に、家族旅行、そしてお盆の帰省と、あちこち移動しながらもIT技術の進歩により半分仕事もあるような、休暇のような日々を過ごしてきましたが、先週からまた、東京での日々が再開しました。リフレッシュしたとは言え、長旅の片付けや日常再開のための諸々準備なども山盛り待ち構えていてくれ、さらに先月から詰めておいたあちらこちらの面談約束のための企業訪問など、目の回る一週間でした。

確かに、家の事だけでも、そう簡単ではないのに、そこまでして仕事をしないといけないの?と考えられもするのですが、私はどんな仕事でも、始めて直ぐに軌道に乗るものではないと思っています。それは子育てと同じで、心を込めて、短期的にも長期的にも考えながら、臨機応変に、でも中心はぶれることなく継続することしかない、と。

ただ、それは無鉄砲・無茶・無謀、ということではありません。ひとつの柱を決めたら、それに向かってとにかく行動すること、間違ったら反省して直してみて、それで問題なければまた走り出すこと、その繰り返しだと思います。ひたすらに、がむしゃらに。

ちょうどそんな言葉を、中国語の本で見つけました。「不管三七二十一(ブー・グワン・サン・チー・アール・シー・イー)」「不管(ブー・グワン)~」とは、「~に関係なく、関わりなく」の意味で、あとは掛け算の九九、三七二十一。そう、直訳すると「三七二十一に関わりなく」ということ。時々「四六二十四に関わりなく」とも言うみたいですね。要はセオリーばっかり言ってないで、まず行動、そんなニュアンスなんでしょうか。

中小企業診断士の試験を合格するには、沢山のマーケティングや経営理論の専門用語を勉強しなければなりません。そして実践の場では、思わずそんな言葉を使ってしまいたくなるのですが、その言葉は、今の目の前のクライアントさんに響く言葉でしょうか?何やら雲をつかむような、難しいような、なんだか明確に理解しにくいような言葉ではないでしょうか?それよりも、実際の事例や体験談等を交えて話した方が、自分も相手も、しくりすることはないでしょうか?

より心に響く、そして行動に移して頂ける言葉やお話をアウトプットできるよう、私もまた、ただひたすらに、できることから挑戦し、経験値をアップしていきたいです。そう、三×七=二十一であっても、なくても、どうでもいいから、まず突っ走りましょう!!体調管理もしながら、ね!


不管三七二十一 [bu4 guan3 san1 qi1 er4 shi2 yi1]


46.おだて帽子

2015/08/17 6:21 に Sae Goto が投稿

8月は、弊社中国パートナーとの大分出張から始まって、家族との旅行やお盆の帰省等、随分あちこちさせて頂きましたが、ようやく今日、東京に戻ります。子供たちはまだ、夏休みの続きがありますが、私は今月末で第二期の決算や、新しいプロジェクト始動もあり、少し羽を休めさせて頂いた分、エンジンをかけねば!!というところです。

さて、そんな夏の放浪の間に、普段東京にいる時には機会のない、お買い物(ただ街をぶらぶらするのも含む!!)の時間を持つことができました。京都も、名古屋も、そして金沢も大分も、やはりインバウンドを意識して中国語の店内放送や中国語・英語表示が増えたこと、そして道を歩いていても、日本語以外の言語を当り前のように聞くシーンも増え、ようやくグローバル化が始まったのだな、という気持ちでおりました。

そして私自身がお客の立場になり、店員さんの対応を見ながら、学ぶこと、感じることもたくさんありました。診断士でなくても、いくら商品が良くても、その店員さんの接し方や態度、そして自身との相性の「いまいちさ」で、お買い物成立に至らないこと、多くの方がご経験されていると思います。決して間違ったことを仰っていないのに、少し言い方が冷たかったり、低いトーンで事務的に言われると、特にオシャレ・趣向品は買い物意欲が落ちますし、まずは商品を見たいのに、あれこれ希望を聞かれても、うんざりします。

で、私自身がウインドウ・ショッピングから「お買い物成立」に至ったのは、どんなケースだったかというと…店員さんへの信頼と、やはり少しの「褒め言葉」があった時でした。お店で私に接してくださる方が、その商品について豊富な知識をお持ちか、その情報量や人間味も含めた奥深さで一旦惹きつけられ、身に着けてみた時、或は自身で使うことを話してみたりした時に、何か一言「少し」褒められただけで、一気に「買います」スイッチが入るんですね。情報や態度への信頼、そして褒め言葉の二段階のようです。

中国語では褒めること、ちょっと“おべっか”のニュアンスもありますが、「戴高帽子(ダイ・ガオ・マオ・ズ)」と言います。情報と接客技術で信頼を得たら、少し高い帽子を被せて(ほめあげて)、お客さんをゲットするというイメージを私は感じます。私自身、多忙を言い訳に、ネットショップで済ますことが多い日用品、衣類のお買い物。こだわりの品が多いMade in Japanの商品だからこそ、まだまだネット通販では実現できないプロセス重視の店舗販売で、魅力を発信していってほしい…そんな気分になった夏でした。


戴高帽子 [dai4 gao1 mao4 zi]

45.親しいズボン

2015/08/10 0:22 に Sae Goto が投稿

先週は、弊社中国パートナー企業の社長が来日され、一緒に日本国内出張をいたしました。彼女とは私が上海にいるときからのお仕事パートナーであり、彼女の考え方や行動パターン、そしてビジネスへの取り組みについては大体理解しているつもりでしたが、やはり宿泊を伴う行動を共にすると、その距離が一挙に縮まるのを感じました。

私自身の性格としては、一人でいても平気である一方、比較的誰とでも交流はするので、あまり特定の方と、ずっと一緒ということは殆どありません。また、職業上(?)、色んな方とお会いして、自分の引き出しをドンドン更新していかないと、という気持ちも持っており、新しい情報と人脈を(いつもゲットできるわけではないですが)取りに行く行動を起こすようにしています。そうして自分の中のデータベースが豊かになり、一人でできないことでも、現実的なレベルで少し上のことを目指すことが出来るのでは、と思うのです。

さて、話を中国社長との出張に戻しましょう。今回の出張で、今まで以上に深く意見交換ができ、感情的に仲良くなれたとか親しくなったこともありますが、やはり出張のいろんな局面で様々な取り組みの話をしてきたので、いくつかの事業プランがたてられましたし、次の予定も大体決まりました。日本の中小企業さまの海外展開・国際化に必要な要素で最も大切なことの一つは、相手国の良いパートナーだと思います。海外展開を急ぐ時こそ、良い現地サポーターは欠かせません。ところが、今回の出張で思ったのは、そういうビジネスを信用して任せたり任されたりしあえる相手を見つけ、そんな信頼をおける間柄になるには、時間も必要ということです。

しかし、ビジネスというのはタイミングやスピードも大切です。すでに私共のように、海外パートナーとビジネス関係や交友を深めているような事業者をご利用いただければ、初めての国の進出でも少しは安心できるかと思いますし、そこを足掛かりとして自分たちで現地交流を開始する、ということもできます。いろんな生活やビジネスの条件が違っていても、目的や方向性が同じで、心を開けば信頼関係は子構築されていきますよね。

中国語では、とても親しい中のことを、一つのズボンを履く「穿一条裤子」(チュワン・イー・ティアオ・クーズ)と言います。これからも、弊社では、同じズボンを履いて一緒に歩いていけるような、そんなパートナー関係の構築と、その人的インフラを利用しての企業様の国際化支援ができればいいな、と思っております。


穿一条裤子 [chuan1 yi4 tiao2 ku4 zi]

44.オオカミなんか怖くない!?

2015/08/03 0:16 に Sae Goto が投稿

先週も、国際セミナーに参加したり、来日した中国のパートナーと打合せや雑談をしたりする中で、色々な学びがありました。現代日本の少子高齢化、市場の縮小や活力低下、労働力不足、といった問題は、「ひたひた」どころではなく、もう「ドカドカ」とアチコチにやってきて、入り込んでしまっている。また多くの人がそう感じている、と気付かされました。そして、どうにかしたいのだけれど、どうすることもできず(せず?)、ただ現状を耐えている、という状況の企業さんが多いことも、再確認しました。

日本人は、忍耐や思ったことを押し黙ることを美徳とし、最後の最後までなんとか足掻いたり、声を上げて助けを求めることを善しとしない傾向がありますよね。自分ひとりなら、それも「あり」かもしれませんが、企業や組織となると、経営者の別の意味での「忍耐」が、最後の最後で従業員の生活を脅かすことにもなるのだということを考えると、何らかの行動を起こすことは非常に大切になってきます。

ただ、ここで怖いのは、その「行動」が正しいかどうか、その判断が間違っていたらどうしよう、という別の心配が浮上してしまうことです。残念ながら、何事も「絶対」はありません。何か行動したところで、「相対的に」「一般的に」「統計的に」上手くいく「だろう」ということは推定することはできても、誰も「絶対」の答えを、将来何が起こるかを知る由もありません。

でも、中小企業白書にも、イノベーションを取り入れる企業は経営改善する傾向がみられるとのデータもあります。どうせ何もやらなくても悪化が目に見えているなら、何か思い切って行動してみる勇気も必要でしょう。もちろん、業績が悪化してしまってからできることは限られてきてしまうので、経営陣は常に判断センスを磨き、経営的フットワークを鍛えておくことが最も大事なのかもしれません。


もう業界や自社の状況も分かっているのに、何も行動できない、という様子を、中国語で「前怕狼,后怕虎(チィエン・パー・ラン、ホウ・パー、フー)」…前のオオカミを恐れ、後ろの虎を恐れる、と表現します。前にオオカミが居るんじゃないか、後ろには虎が居るんじゃないかと、心配ばかりしているんですね。頭や体は、使わないと鈍ります。企業も常に社会や業界の現状と自社の現状を照らし合わせて、状況に応じて微調整していく「動き」をトレーニングしていないといけない、ということでしょうか。鍛えていれば、オオカミや虎も、やっつけるまでいかなくても、かわすぐらいはできるようになるかも?!

前怕狼,后怕虎 [qian2 pa4 lang2, hou4 pa4 hu3]

43.イヌがネズミを!?

2015/07/27 10:41 に Sae Goto が投稿

先週は、中国向けの輸出案件の商談、インバウンド案件がまとまって動きました。といっても、日本に居ながらなのでWeChatやメールを通じ、あちこちのパートナーや日本企業さん等とのコレポンに忙殺状態。その中で、日中間で物事の考え方の根底からの違いについて考えさせられたことがありましたので、今日はそれを紹介しましょう。

ある中国のパートナーが、某日本企業との取引を始めたいので、連絡してほしいと依頼してきました。私の方からは、その日本企業と面談するにあたって、できるだけ詳しく、また実績なども記載したパートナー企業の資料を用意してほしいと頼みました。その理由は、もちろん初めての取引先候補と、今後取引を行うにあたり、日本側の企業に安心を与えたかったからです。特に日本企業は大陸というだけで意識的にバイアスがかかることが多いので、その辺りの障壁をできるだけ下げて、商談成立につなげたい、と考えました。

ところが。中国側のパートナーは、もちろん資料は準備するけれど、初めからそんな情報を開示する必要があるのか?先方の事情も考え方も分からないし、日本のモノを扱いたい中国側の競争相手が沢山いる中で、どこで情報が錯綜するかもしれない。情報の出し方は、小出しで良いのではないか?と、言ってきました。

一般的に中国の企業との商談は、初めトップスピード、後に急速ダウンすることが多いので、私は何となくそのペースなのかな、と考えていたこともあり、そのパートナーの慎重さに驚きつつ、何でも画一化してはいけない、と普段他人には言っているくせに、自分ができていなかったことを反省しました。また、ここでも島国で平和な日本人の考え方と、多民族の争いを繰り返してきた大陸の人間の考え方の違いを感じました。日本人はとにかく安心したい、信じたい、だから初めから友好関係があるもの、と思ってしまいがちな一方で、中国のパートナーが安心して信じたいけれど、初めは警戒・注意する、という姿勢に、日本人の国際ビジネスに足りないポイントを見た気がしました。

良かれと思って準備をお願いした諸々の情報、中国側のパートナーの意向を組むことを考えると、時として不要なおせっかいだったかも、ということもあるものですね。中国語では犬のことを「狗(ゴウ)」、ネズミのことを「耗子(ハオズ)」といい、本来猫が捕まえるべきネズミを犬が捕まえる「拿(ナー)」ことに喩えて、余計なおせっかいを焼くことを「狗拿耗子(ゴウ・ナー・ハオ・ズ)」と言います。日本のやり方を主張することも大事ですが、それを強制してはいけませんよね。国際ビジネスでは。うん、反省。


狗拿耗子 [gou3 na2 hao4 zi]

42.みんな特殊ですっ!

2015/07/13 11:00 に Sae Goto が投稿

「この業界って、特殊なんです。」この言葉、コンサル歴が然程長くないウチでさえ、いささか耳にタコ気味です。どの業界も、それぞれに特殊です。それぞれの特性がありますし、他の業界に比べて大変だったり、条件の良くなかったりすることも沢山あるでしょう。でも、自ら選んだことでしょう?

人は物事がうまくいかなくなると、人の所為にしてみたり、うまく行かないことを正視しなく(したくなく)なったりします。防災心理学等で良く聞く「正常化バイアス」、つまり非常事態に対しても「自分だけは大丈夫、大したことない。」と、良い方に良い方に考えを持っていってしまうことなんですが、これもバランスが非常に微妙で難しいですね。小さいことにくよくよばかりしていてもダメだし、何か対策やアクションが必要と思われる状況の変化が有ったら、客観的に冷静に判断して動かなければいけないし。

企業の状況も、「そういうこと、あるさ。」と考えることが結構分かれ道になっていて、一度の失敗ならともかく、連続するようなら自分の置かれている環境の現実と、自分が行っていること(事業や業務)のギャップや齟齬、不適合がないか、疑ってみる事って大事ですよね。それをせずに、「自分は大丈夫」と思いこめば、状態は悪化し、回復するにも何が悪かったのか、気がつかなくなってしまいます。そこで出てくるのが「この業界は特殊。」ということば。自分じゃなくて、周りが悪い、と、私だって言いたくなります。でも、そんな言い訳して何か良いことがあるでしょうか?

中国のことわざに「三百六十行 行行出状元:サン・バイ・リィウ・シー・ハン、ハン・ハン・チュー・ジュワン・ユェン」というのがあります。この場合の「行」は「ハン」と読み、業界の意味になります。360は多い数の喩え。そして「状元」とは科挙試験の一位のことを指すのだそうです。世の中本当に沢山の業界があるけれど、どの業界にもトップはいるよ、ということです。どんなに特殊な業界でも、それぞれに皆、苦労して、工夫して事業運営しているんです。「私はこんなに一生懸命やってるのに…」と、自分の努力の軌跡ばかり見ないで、360度、ぐるりと周りを見渡しましょう。何が足りないのか、何が問題なのか。一生懸命やるってことは、自分の中だけで決める事じゃなくて、自分を取り巻く小さい社会と、そのもうひと・ふた周り大きい取り巻きとバランスとりながら、上を目指していくことなんでしょうね。と、書きながら今週も反省しています。

三百六十行 行行出状元

[san1 bai3 liu4 shi2 hang2 hang2 hang2 chu1 zhuang4 yuan]

41.長い糸で、長い目で

2015/07/06 8:19 に Sae Goto が投稿

2015年も半分が過ぎ、7月が始まりました。弊社は2013年9月設立で、来月末で二度目の決算を迎えます。会社設立当初、帰国後間もなく、固定顧客もなく、やりたい事業のイメージはあるけれど、具体的な案件もなく、子育てもあるので2年間は調査を中心にコスト・カンパニーとして、私なりの「中小企業診断士事業」の検討をするつもりでした。「でした」と書くと、思った通りにならなかった、という意味になりますが、良い意味で予想外のスポット売上がたちました。事業らしきものがルーチンで回るほどには育ちませんでしたが、ルーチンで進めていけそうな「芽」はいくつか出てきて、3年目に増資をしなくても、このまま突き進んでいけそうな状況です。これも、たった一人カンパニーのチアーマンサポートを支えてくださり、信用してくださったみなさまのお蔭だと、まだまだではありますが、感謝の気持ちで一杯です。

では、これからはどうするか、ということですが、やはり2年経とうとして思うことは、事業の開始や改善というのは、自分の事情だけでは進まず、失敗したり、停滞したり、熟考したり、説得して分かっていただいたり、あるいは時間だけが解決してくれたり…と、それなりに時間がかかるものなのだ、ということ。何もしないで、ただむやみに時間を過ごすのは言うまでもないですが、自分が必死で走っても、どんなに努力しても、待つしかないことも多々あるのです。そんな時は、少し休んでリフレッシュし、次のランに備えるもよし、目先の小さい作業を終わらせるもよし。ただ、長期と短期の仕事のビジョンと組合せを常に意識し、短期的にやることばかりで焦らない事、つねに長い目で見ることを忘れない事が大事なんだな、と、これも自分への戒めです。

今年はミラサポの専門家としての登録も行い、実ビジネスの他にもコンサルティングの場も広げてみました。ご質問やご不明点にすぐ答えられる引き出しを増やすための努力や勉強も必要ですし、実ビジネスを育てたり、失敗して焦ったりすることで、事業者さまと共感できたり、事業者さまの気持ちに寄り添えるよう、今後も努力していきたい…と、やればやるほど、次々とやりたいこと・やらなければならないことが出てきます。そういう意味では、私も一事業者として、長い糸を放ち、大きな魚を釣り上げられるよう…それが今日のことわざ「放长线钓大鱼(放長線釣大魚):ファン・チャン・シィエン・ディアオ・ダー・ユィ」になるのですが…自社事業を、じっくり育てて行きたいと思います。まだまだ雨で涼しかったり、急に暑くなったりと変わりやすい気候が続きますが、みなさまもどうか、健やかにお過ごしください!

放长线钓大鱼 [fang2 chang2 xian4 diao4 da4 yu2]

40.類は友を呼ぶ

2015/06/29 10:14 に Sae Goto が投稿

中国の春秋戦国時代、斉の宣王は淳于髠(チュン・ユィー・クン)という有名な政治家・思想家に、斉の国を治めるのに、7人の賢者を集めてほしいと頼み、淳于髠は一日でその7人を推薦しました。宣王は、こんなに広い斉の国中を探し回って賢者を集めるのに、どうして一日で7人も推薦できるのか、不思議に思います。淳于髠は、鳥は同じ種類の鳥が、獣も同類のものが集まって行動しているし、柴や桔梗を採るのに沼地に行ったらいつまで経っても見つからないが、山に行けばすぐに荷車が一杯になる。みんな同類は纏まっているものだ、と説明します。これが「物以类聚:物以類聚(ウー・イー・レイ・ジュイ)」、物は種類ごとに集まっている、類は友を呼ぶという言葉の起源だそうです。

趣味や学問、職種なら、同じ思いを持つ人々が集まってくるのも分からなくはないですが、必ずしも個人の意向が反映されない学校のクラスや会社はどうでしょうか。やはりそれでも文化や風土、雰囲気があります。人はその集団に入ってしまうと、もともとの志が違っても、なんとなくその風土やカラーに染められてしまうもので、活発な意見を発せる空気のあるクラスや職場では雰囲気は明るく、皆が競って上を目指す雰囲気のあるグループは、良い緊張感とまとまり、そして連帯感も生まれ、成績が上がったりします。

私自身も痛感したのが、大学受験時の高校の雰囲気です。当時の京都の公立高校は(今はどうか分かりませんが)地域毎に通う学校が決まっていて、所謂進学校等のレベル格差が学校間にはなく、大学受験する人・しない人が同じクラスとなることから、進学希望者は私立高校に行く風潮がありました。私は進学希望でしたが、地元の公立高校に通い、それなりに高校生活を楽しんでいましたが、やはり卒業前の雰囲気は就職の決まった人、推薦で進路の決まった人から緩んでいくので、卒業式後も大学の二次試験を控えてピリピリしている私にとっては、厳しく感じました。ただ、救われたのは、他にも同じ状況で進学を目指す友達が何人かいたこと。やはり少数派ながらも同じ状況の人がいる、というのはモチベーションにもつながったのを思い出します。

やはり人は一人では弱いもの。そして纏まると人数以上の力を発揮することもあるので、集団の文化・風土づくりは本当に大切ですし、そのお手伝いもがんばりたいと思います。それにしても、賢い人なら、余りまとまっていないで、もうちょっと間隔を置いて活躍をしていそうな気もしますし、今のようにインターネット上でのSNSが発達した時代なら、距離的に離れていても、思想や趣味趣向が同じ人たちが、いつでも情報交換し合えますが、春秋時代にそのネットワークを、どのように築いていたのでしょうか?


物以类聚 [wu4 yi3 lei4 ju4]

39.どんだけの違い?

2015/06/22 10:06 に Sae Goto が投稿

日本語で「五十歩百歩」は、それほど差が無い事のたとえとして、よく使われますが、原文の中国語では、どうも奇数の漢字ではリズム・語感的にしっくりこないのでしょう。一文字「笑(シャオ)」が入り、「五十歩百歩(ウー・シー・ブー・シャオ・バイ・ブー)」となります。その昔、中学校国語の漢詩の授業で、「戦国時代の中国で、50歩逃げた兵隊が、100歩逃げた兵隊のことを、弱虫といって嘲笑った。」という説明を聞いたこと、思い出しませんか?50歩でも100歩でも、逃げたことには変わりないのに、その50歩の差たるや、いかほどのものなのか、いや、取るに足りないほどの差である、ということですね。

先週も日本企業の海外事業展開を担われている、現地法人の代表者さんとお会いすることができ、新規ビジネスの話や現在の中国のお話など、盛りだくさんのお話で充実した時間を過ごしました。その際、その方が仰った言葉で、特に心に残ったのは「中国でダメなら他の国に行っても無理である。海外事業で簡単なことは何もない。障壁がちょっと高いか、ちょっと低いかの差である。」ということです。どんな人間でも、知らず知らずのうちに自分の悪いことは過小評価し、良いことは過大評価しがちです。また、事業が上手くすすまないのも、原因は自分にあるのではなくて「GDP成長率が落ちてきているから、円安だから、日中関係が悪いから…」と、何か不可抗力の所為にして、できないことを正当化しようとしてしまう、そんなこと、よくありますよね。

上手くいかない原因を分析しても仕方ない、ということではありません。もともと海外事業展開(貿易や海外拠点の設置のみならず、インバウンド等も含む、広義の国際化)は文化や習慣、言葉の違う人々との間で、取引を行うこと。日本で起業しても黒字化や、ビジネスが軌道に乗るまで何年もかかるのに、日本でできたことがそのまま海外でも通用するか、日本人が喜ぶものが外国の人も喜ぶのか、といえば、決してそうではないのです。実際にやってみないと分からない課題や問題も立ちはだかるでしょうし、それをひとつひとつ解決して、我慢して、地道に努力して初めて一歩すすめる、そのぐらい覚悟も必要ですし、それゆえに成功すれば喜びも、得られる利潤も大きいのだと思います。

結局、「事業は人なり」と松下幸之助さんの言葉ではないですが、ビジネスが人と人との信頼関係の上に成り立つものならば、その関係を構築するのに時間がかかる、ということなんでしょう。その次に法律であったり、制度上の問題であったり、あるいは地理的な条件だったり…と、国や取り扱う商品・サービスによって個別の問題や課題があるのです。それこそが「五十歩(笑)百歩」、人との信頼関係ほど大きいものでは無い、ということではないでしょうか。

五十步笑百步 [wu3 shi2 bu4 xiao4 bai bu4]

38.蛇の尻尾にならないように…

2015/06/14 23:26 に Sae Goto が投稿

「虎头蛇尾(フー・トウ・シャ・ウェイ)」…虎の頭に蛇の尻尾、日本語では「竜頭蛇尾」といって、虎の代わりに竜の頭に蛇の尻尾、とたとえます。いずれにしても、初めは勢いがあるが、尻つぼみになってしまう、ということ。会社を興すときも、トップが交代するときも、社内のしくみや価値を変えて行くときも、さらにはプライベートでもそうですが、ダイエットも、新婚生活も…!!!初めは勢いがあり、希望もあり、やる気も有るのですが、続けて行くうちに、トーンダウンしてしまったり、そのうち自然消滅してしまったり。「初志貫徹」などとよく言うけれど、初めに掲げた目標や、気持ちを維持し続けるというのは、ほぼ不可能なのかもしれません。

俗にいう「マンネリ化してしまうこと」や、現状に安住してしまうことは、安定という意味では確かに満足感が得られます。到達すべきゴールが見えず、もがき苦しんで努力するのではなく、一定の作業をしていれば、ほぼ一定の決まった結果が得られ、それはそれで良い状態かもしれません。でも、その状態は、次の変革へのエネルギーを蓄積するための期間なのかもしれないな、と最近思うようになってきました。

中小企業白書を見ても、他のいろんな書物やコラムを見ても、変革をする会社が長命だったり、業績が伸びたりすると言われています。それは、「改革」そのものが目的になるのではなく、自分や自社の中身が変わらなくても、それらを取り巻く社会がどんどん変わっており、その環境に適応していく能力の有無がポイントになるのだと思います。会社だけではありません。子供の教育もそうです。私達が子供のころに存在しなかった携帯、スマホ、インターネットというモノだったり、概念だったりが、今は当たり前のように誰でも使えるようになり、恐ろしいのが親よりも子供の方が詳しくなっている、ということです。

この状態は、会社も学校社会もあまり変わらないと思います。企業さんのヒヤリングで、案外危機感や現場の最先端情報を持っているのは、非管理部門だったり、非役職者だったりして、その問題や課題が、仮に形式的にボトムから経営へ上がっていても、経営側で問題であると認識されていなかったりすることは、往々にしてあるものです。かといって、新しい情報に敏感な若者をトップや管理職に据えるのがよいかといえば、業界・業務経験、マネジメント力という点では、当然先輩には劣ります。要は、一番変わらないといけなくて、一番先端情報に敏感に対応しなければならないのは、会社のトップだったりするんでしょうね。そうすることで組織の中まで、問題への対応、環境への適応を自ら考える空気と雰囲気と会社文化が出来上がってくるのだと思います。当社はまだまだマンネリ化できるような段階にもきておりませんが、常に新鮮に、常に挑戦することを考え、今週もまた、成長していければな、と思っています。

虎头蛇尾 [hu3 tou2 she2 wei3]

37.先ず行動!でも待つ時間も大事。

2015/06/08 8:46 に Sae Goto が投稿

先週はお二人の中国ご出身の社長とお会いする機会に恵まれ、日本企業の海外展開での問題点について日本人以外の立場から、新鮮かつ不思議に思えることをお話いただき、私もこれまた新鮮な気持ちでお聞きしておりました。もちろん、コミュニケーションのまずさや、外国でも日本と同じような品質、スタッフの行動を求める…などのポイントは、どなたも指摘される日本人の(良くない方の)特徴。でも、もっと新鮮に、また、零細企業の社長である私にとっても胸に突き刺さるお話がありました。

「日本人は、中国に出てきて、一年や二年で結果がでるものと、勘違いしている。今まで日本での事業はここまでくるのに何年かかったのか、日本でさえ形になるのにかなりの時間がかかっているのに、言葉も習慣も違うところで、1年で結果がでなくて撤退・縮小って、ちょっとおかしい。」と、いうのです。

う~ん、納得。日本で時間をかけ、創り上げてきたものの、その部分的応用編と思っているから短期での結果にこだわるのかもしれないですし、「腹をくくる」覚悟が中途半端で、出口戦略のことばかりが念頭にあるのかもしれないですね。または、その事業を始めたのが今の担当者ではなく、前代の、或いはその前の代の先輩たちだったりして、今の世代が(海外展開も含めて)新しい事業へのチャレンジに慣れていないのかもしれません。自分達の努力が、即座に結果に結びつくのではなく、成果がでるには「適当な」時間が必要、ということなんですね。

私自身も時間だけが解決してくれること、何度も実感したことがあります。わかっていても、ひたすら何の変化も結果の兆しもない間、時間を過ごすことは、これでよいのだろうか、何か動かないといけないのではないかと悩みますよね。でも、そんなときは、「やるべきことをやりつくして、もうやることがない状態なのか」を再確認することだと、最近気づきました。そして、この中国社長の言葉で、その意味を再確認しました。これぞ、人事を尽くして天命を待つ、中国語でいうところの「做事在人,成事在天(ズオ・シー・ザイ・レン・チェン・シー・ザイ・ティエン)」やるべきことをするのは人であり、結果を出すのは天である、ということです。やることをやったら、ジタバタするな、しっかり腹をくくれ、そういうことでしょう。結果はついてくるもの、とよく言われる通り、結果を求めるにはまず、行動!ですよね。今週も元気に行動しましょう!!


做事在人 成事在天 [zuo4 shi4 zai4 ren2 cheng2 shi4 zai4 tian1]

36.「青菜に塩」はお料理だけに…。

2015/06/01 8:11 に Sae Goto が投稿

こんな言葉を週の初めから書いていたら、元気に一週間すごせないでしょうか?でも、何事も考え方ですよね。今日の熟語は「无精打采(無精打彩):ウージンダーツァイ」、青菜に塩、しょんぼりしている、元気がない、と言う意味です。日本語でも「精彩を欠く」という言い方をしますが、精気がなく、彩(いろどり、華やかさ)も打ちのめされてしまっている、ということなんでしょう。

大体にして、悪いことというのは続くもので、一旦悪いスパイラルに入ると、なかなか出られません。するとどうしても暗くなる、顔や様子も、がんばってみても暗い感じになってしまう、すると貧乏神がさらについてしまう…というような…。逆を言うと「笑う門には福来る」。笑顔でいると良いことがある、と言われるように、何か上手くいくと笑顔でいられる、そして更に調子づいて良い方向に事が向かう。

でも、何となく最近思うのです。悪いスパイラルに入って精彩を欠く様子だから余計に悪いことが起こるのではなく、本当は笑顔でいても、悪い事や失敗はある。ただ、笑顔で、強気でいるから、くじけずに次に向かっているだけではないかと。

あるクライアント企業さんと出会ったころ、経営者が暗い、怖い、とスタッフの皆さんが仰っていました。でも、経営改善を試みられ、経営数値の把握やスタッフ全体の管理意識の植え付けができてきたころから、次第に社内が活発な空気に変わり、経営者の方にも笑顔が増えました。すると…卵が先か、ニワトリが先か、ちょっと分かりませんが、全てのことが連動するように、よい方向に動き出したようなのです。すると、小さい問題が起こっても、それに対して適切に対応できるようになられた例を拝見させて頂いています。

いつも万全盤石でいることは無理なことです。でも、しっかり休養をとって、気分転換もして、「さぁ、仕事するぞ!」と精気をみなぎらせ、「戦う姿勢」を整えることで、運気やお客や、よい業績を引き込めるのかもしれません。みなさんは、この週末、リフレッシュできましたか?良い仕事をするために、良く休みましょうね。そして今週も、元気に過ごしましょう!

无精打采 [wu2 jing1 da2 cai3]

35.コツコツか、焼け石に水か

2015/05/25 11:03 に Sae Goto が投稿

何事も、コツコツの積み重ねが大事…と思いつつ、こんなちっぽけなこと、何の役に立つのだろうと思うこと、ありませんか?問題が大きすぎて、また自分の力が小さすぎて、「焼け石に水」ということ、中国語の成語で「无济于事(ウー・ジー・ユィー・シー)」と言います。事に于(お)いて、済(たすけ)が无(な)いということなんですが、毎日のちっぽけなこと、これが将来助けになるのかどうか、結果がでなかったり、なかなか進歩しなかったりすると、とても不安になることがありますよね。

では実際、何が「无济于事(ウー・ジー・ユィー・シー)」で、何が将来へのコツコツになるのでしょうか。

子育てをしていても思うのですが、多くの継続性のあること、規則性・定期性のあることは、やはりコツコツのような気がします。毎日キチンと同じ時間に起床して規則正しい生活をすること、何かしてもらったら「ありがとうございます」ということ、与えられた宿題は最低限こなすこと。もちろん人間なので、やる気のない時もあれば、辞めたくなる時も有ります。でも、一時的な感情はときどき爆発させたり、ごまかしたりしながらでも、長く続けることで、形ができてきたり、結果が見られるようになると思います。また、これが、社会人になって、会社や取引先等、社会や組織の中で、困難や問題に負けず、周りに流されずに自分の責務を果たしていくことに繋がっていくのではないか、と思います。

一方のコツコツではない方、今日の四字熟語の「无济于事(ウー・ジー・ユィー・シー)」は、一過性、一時的なことを指す場合が多いように思えます。毎日続ける宿題ではなくて、テストの前日の付け焼刃とか、健康診断の直前限定のダイエットとか…。

と、書いていると、私自身も何となく、「コツコツ」と「非コツコツ」の違いがイメージできてきました。努力は人を裏切らない、ということですよね。このコラムも、もう1年以上続いています。書きながら自分自身を顧み、反省し、また新しい言葉を学んでいる私ですが、次のネタも考えながら、また今週一週間コツコツがんばろうと思います。みなさんも、良い一週間になりますように。


无济于事 [wu2 ji4 yu2 shi4]

34.塞翁が馬

2015/05/18 11:12 に Sae Goto が投稿

私は妹と女の子ばかりの家庭だったからか、幼いころから父親に「結婚したら自由がなくなるが、より自由がなくなるのは女性の方だ。だから独身のうちに、悪い事以外はなんでもチャレンジしなさい。」と言われて育ちました。結婚に至るまでも、「別に大学出たらすぐに就職しなければならない、なんて決まりはない。」と、他の人が聞いたら、なんともいい加減!?と思われるようなアドバイスを受け、実際に京都で残留孤児への日本語教育や生活指導の仕事、ロシアでの日本語教師、そして商社、ITベンチャーと、あれやこれやと挑戦し続けてきました。

これは、見方によっては「落ち着きがない、長続きしない」とも言えますが、(実際、商社からITベンチャーに転職するときは、書類選考だけで約20-30社…ちょっと覚えていないですが…も落とされ、面接にも進めず、自分で何もできないことがとても歯がゆかった思い出があります。)今思えば、これらの経験が全て今の私に活きているような気がします。

さらに、20代のころからお仕事が大好きで、ちょっと褒められては調子に乗って夜中までも残業し、それでも翌朝は誰よりも早く出勤する完全なワーカ・ホリック。自分の名前も色んな方に覚えて頂き、どんどん天狗になりかけたころ、結婚と二度の出産、そして夫の海外転勤を契機に退職…となった時、旧姓で通していた職場の名前も、使うこともなくなり、収入もなくなり、私は○○さんの奥さん、か、○○ちゃんのお母さん、としてしか見られなくなったこと、どうにかしたくても、海外に出てきてしまって、乳幼児を連れて自由に動けず…これまた大きな挫折でもありました。

でも、やっぱりその時があるから、今があるような気がします。ちょっとやそっとでは、潰れない自信もできました。でも、こんな思いをしているのは、別に特別では無さそうです。最近、本当に偶然、女性経営者の方と出会い、お仕事をする機会に恵まれているのですが、彼女らも大体、仕事をしていくには何度か試練や挫折、そして仕事からの断絶を経験しています。でも、それをどう転機として捉えるか、どうプラスに変えられるか、或る意味キモチの持ち方ひとつで、運命も変えて行けるような…そんなパワーを持つ人々に、私もパワーをもらう日々です。

人間万事塞翁が馬。中国語は少し違って「塞翁失马(サイ・ウェン・シー・マー)」と言います。起こってしまった、ちょっと災いと思えるような事象を、プラスに変えて行けるような強い心と、明るい気持ちを持ち続けたいものですね。


塞翁失马 [sai4 weng1 shi1 ma3]

33.空っぽのロバ

2015/05/11 10:23 に Sae Goto が投稿

「黔」(チィエン)とは、中国貴州のある地名、「驴」(ルゥィ)は、ロバ(驢馬)のこと。「穷」(チィオン)は乏しい、貧しいの意味です。その昔、「黔」(チィエン)という村にはロバが居なかったのですが、ある日誰かがロバを連れてきました。ロバを初めて見た虎が、図体は大きいし、何者だろうと、様子をうかがっていたのですが、ロバは蹄でひっかくことしかできないのが分かり、餌にしてしまった、と言うお話。そこから転じて、外見は大きいのに、中身が伴なっていない、自分の持っている少ない技を全て出しきってしまう…という、ちょっとネガティブな意味です。

そこで、今日も自分自身への戒めコメント。年齢ばかり重ねたロバにならないように、ということです。年齢を重ねると、もちろん身体面の衰えは出てきます。(それを最小化しようと、体力作りも一応努力していますが…)でも、経験値は積み重ねていけるものですし、経験の数の多さは、「冷静な判断」や、「ひねり」「ユーモアを交えた余裕」という面で、威力を発揮できるものだと思います。

ただ、ひとつ要注意。経験は飽く迄、過去の出来事。その時代だったから、その環境だったからできたこと、というのもあり、もしそれが今なら…実現できない、ということだってあります。では、年を重ねて、なお経験を活かすとはどういうことか。これは私の考えですが、まだまだ新しいことに挑戦する、新しい情報を進んで吸収することに他なりません。

誰かに何か仕事をお願いしたり、人を採用したりするときに、過去の経歴や職歴を尋ねることがありますが、もちろん経験者であれば仕事のスタート時点では説明も少なくて済み、スムーズに業務に入れるかもしれません。でも、今後長く続く業務や事業のことを考えるとどうでしょうか。過去の経験をそのまま繰り返して満足しているようでは、事業として成長を求める場合、経験が邪魔をしてしまう…なんて、心当たり、ありませんか?

社会はどんどん変わっていきます。その中で自分の経験を活かしていくには、過去だけにとらわれず、貪欲に自分を磨いて、社会と交流して刺激を受け続ける事だと思います。何も会社で働くことだけではありません。何事においても、手の内を全部出し切る前に、どんどん自分でネタを仕込めるよう、良い年齢を重ねていきましょう。


黔驴技穷 [qian2 lv2 ji4 qiong2]

32.ハングリー精神で

2015/04/27 10:51 に Sae Goto が投稿

孟子の言葉だそうです。「有恒产(産)者有恒心:ヨウ・ヘン・チャン・ジャ・ヨウ・ヘン・シン」…常に「産」、つまり収入がある人は、常に心=道徳心、心得もある、ということです。逆に「貧すれば鈍す」、収入が無くなってくると、人間は嫌な面をさらけ出してしまい、負のスパイラルに入ってしまうもの。

企業や家庭生活も同じで、一定の収入があり、平凡或いは順調に過ごしている時は、判断も冷静にでき、他人への思いやりの気持ちを持ち続けることができます。でも、経済的な余裕がなくなると、他人より自分、趣味や心の余裕よりもまずは生理的な要求を満たすのに必死になってしまう。人間の悲しい性質ですよね。でも、どん底になったときに、どれだけ上を向けるパワーを持つか、自分で努力した後のイメージを持ち続けて頑張れるか、所謂「ハングリー精神」の考え方で生き方は変えられるものだと実感しています。

というのは、最近中国の経営者とお話することが多く、彼ら彼女らの多くが、辛い時期を乗り越えてきているのです。文化大革命でやりたい学問を受けられなかった人、日本に留学しても当時の経済格差のため、親からのお金はとっくに底をつき、常にお財布には硬貨しか入っていなかった人、そして留学当初は日本語も分からず、単純作業のアルバイトしかできなかった人…。その時をどうやって乗り越えたのか、というのを聞いてみると、大抵「自分がそんな安い時給の仕事(単純労働)しかできないのは、自分の日本語能力が低いからだ。もっと勉強して、良い仕事ができるようにならねば!」と、肉体労働で心身を酷使しながらも、必死の思いで勉強し、突っ走って来られています。

その時の苦労があるから、事業で成功したり、軌道に乗って安定した収入が確保できるようになったりした今も、「どこかで失敗しても自分には乗り越えられる、いや、乗り越えてきた」という自信があり、新たな投資や事業拡大についても、「腹をくくって」一歩踏み出せる強さがあるのだと思います。

一方、初めから「恒産」状態しか知らない私たちは、どうでしょうか?失敗すること、一部を失ってしまうこと、そこから這い上がる自信がなくて、他人にそれほど迷惑はかけないにしても、他人のことを思いやるほどの余裕もない、ちょっと中途半端な状態でおわるリスクもあるのかな、と危惧しています。私たちも失敗を恐れず、でも無茶をするのではなくて、マネジメント能力を身に着けながら「常に道徳心も生産能力もある人間」を目指して頑張りたいものですね。


有恒产者有恒心 [you3 heng2 chan3 zhe3 you3 heng2 xin1]

31.信じる者は、救われる?!

2015/04/20 10:35 に Sae Goto が投稿

「杯弓蛇影:ベイ・ゴン・シュー・イン」この中国語のことわざ、実は今、気になっている状況を表すのに、適当なものはないかな…と探し当てたもので、私も初めて学びます。日本語でも同様の四字熟語がありますが、一文字違って「杯中蛇影(はいちゅうだえい」となるようが、こちらも恥ずかしながら、お初にお目にかかります。意味は、必要以上に疑って病んでしまうこと、疑心暗鬼になることを意味します。

中国の故事では、“招かれた先で壁に架けられた弓が杯の酒に映り、蛇のように見えた。それを飲んだ客は気になって病気になってしまったが、それが壁の弓だと分かると病気が治った。”ということから来ているようです。疑いの目で見始めると、とことん信用できなくなるものなのですね。

確認もしない情報から勝手に妄想し、疑心暗鬼になってしまう…海外展開支援をしている私にとって、本当によくぶち当たる状況です。日本語だけを使って、日本人だけと取引していた状況から、グローバル化を進めるということ―大陸で違う言語の人々が隣り合わせで、しょっちゅう行き交い、歴史上も争いを繰り返してきた―そんな人々よりも、かなりハードルが高いことなんですよね。だから自分で見もしない状況を、少しのニュースやネット情報から類推し、「どこどこはコワイ、アブナイ。」になってしまうのでしょう。

初めての事は誰でも怖いのです。自信が無いのです。私も、もう20年以上前のことですが、言葉も出来ないロシアに単身渡航し、2年間日本語教師としてロシア人の同僚と一緒に働きました。当時のロシアは、ソ連が崩壊したばかりで、確かに治安もよくなく、物流もおかしくなっていて、物不足は日常茶飯事でした。でも、社会的にはそうであったとしても、私は楽しく充実した2年間を過ごさせていただきましたし、ロシア語も覚えました。それは、周りの人々に恵まれ、素直にそれを感謝し、互いに信頼関係を築いていけたからではないかと思っています。

もちろん、誰でも信用して良いわけではないですし、人を見る目や信頼の度合いを深めていく、ある種のスキルも必要でしょう。しかし、それは日本であっても外国であっても変わりません。時間をかけて、失敗や苦境を乗り越えて達成していくものだと思います。情報が沢山飛び交う中、じっくり調べる情報、スルーする情報、参考にする情報…自分の中で取捨選択し、大事なビジネスパートナーとは、もっともっといい関係になれるよう、互いに切磋琢磨していきたいものだと、自分自身にも言い聞かせています。


杯弓蛇影 [bei1 gong1 she2 ying3]

30.「Made in Japan」回帰で品不足

2015/04/13 10:36 に Sae Goto が投稿

「供不应求(供不応求:ゴン・ブー・イン・チィウ)」…供給が需要に追い付いていない、という意味です。最近ちょくちょく、この状況を目の当たりにすることがあります。

私が中学生ぐらいの時でしょうか(何年前とは言いません!!)、社会科で【加工貿易】という言葉を覚えました。工賃の安い中国に材料を輸出して中国で製造し、再度日本に輸入して販売する、ということで、中国の労働力規模の大きさと人件費のお得感で「中国=世界の工場」の地位を不動にした頃がありましたよね。それから時は流れ、中国経済も改革開放に向かい、工賃の格差が縮まったり工員の不満によるトラブルが発生したりしたこと、そして何より中国国内の購買力が高まったことから、この10年ほどで「世界の市場」として著しい成長を遂げています。そして、世界の市場が求めるものとは…新しいもの、珍しいもの、高価なもの、高品質なもの、安心・安全なもの…。行きつく先は、日本製の商品だったりするのです。

日本の、特に中小の製造業が(非常におおざっぱな言い方になってしまいますが)少量、高品質での生産構造であり、その希少価値が「世界の市場」の求める所に合致しているようです。でも、実際その「世界の市場が求めそうな良い商品」を集める作業をしている今、やはり製造キャパシティーの問題が浮上してくるのです。基本的に少量生産の設備しかないので、需要に追い付かないのです。市場側には「例えば、日本ブランド、日本式生産管理の中国製ではだめか?」と交渉するのですが、「それでは意味がない」とバッサリやられてしまいます。

でも、日本の労働力も少子高齢化により不足しています。製造業のみならず、作ったものを運送するトラック・ドライバーも慢性的に人員不足状況です。日本は今後、教育や「おもてなし」等のサービス、そして先端技術のノウハウで生きて行かないと!!というときに、世界の市場は「Made in Japan」を求めるのです…が、それを支える人・労働力が足りない。だから外国人研修生を受け入れる企業さんもありますが、まだ一部ですし、なんといっても日本社会全般的に外国人の受け入れの門戸の開き方が、東京オリンピックだ、インバウンドだと言っている割には中途半端なような気がするのは、私だけではないように思います。

供不应求 [gong1 bu2 ying4 qiu2]

29.面倒くさがりがITを伸ばす

2015/04/06 9:27 に Sae Goto が投稿

先週一週間、上海に出張して参りました。やはり中国、上海の中でアチコチしただけなのに著しい変化を感じました。物価(特に円安なので、何を見ても高く感じます!!)、まだ増えるショッピングセンター、サービスの向上…でも、そんな勢いと活気あふれる街を歩いていても、地下鉄の中も、時々目にする物乞いの姿。底上げによる変化ではなく、伸びる事の出来る人が伸びていく、そんな社会の大きさと層の厚さをも思い知らされました。

さて、上海市内を歩いていて、もうひとつ気になることがありました。広告や展示会場でのQRコードの多さです。確かに日本でも、SNSのお友達の登録などでもQRコードは当たり前になっていますね。

もう10数年前になるでしょうか、ブロードバンドが広まった頃は、テレビやラジオでホームページに誘導するために「詳しくはhttp:///www.......」というのをよく聞きました。また、検索サイトが台頭してくるようになって、いちいちURLを覚えさせるのではなく、「詳しくは○○(日本語でのキーワード)で検索!」と、よりアルファベットの羅列よりも日本語で覚えやすくなりました。でも、そんなのを覚えるのも面倒くさい!間違ったらまたやり直し。これを回避できるのが、QRコードですよね。パシャっと写真を撮るようにワンタッチでコードを取り込み、行くべきサイトに誘導してもらえる…。そのためのQRコードが、路上広告にも、街中にも、あちこちで見られたのです。

今日の中国語は「嫌麻烦(嫌麻煩):シェン・マー・ファン」、わずらわしいことを嫌う、つまり面倒くさがる、という熟語…というか、日常語です。中国企業とある試作品を作ると、日本側は何度も改良要求をするのに対し、中国側は嫌気がさしてきます。交渉も、同じようなことを繰り返すのを嫌がられますし、日本のサービスが良い!といっても、中国側で学ぶよりも、大型投資をして、ノウハウをそのまま導入する、というような、ダイナミックなやり方が、大陸では総じて好まれます。

上海の街中のQRコードも、私にはその「嫌麻煩」(面倒くさがり)の風潮がそのまま表れてきているように思えてなりません。いや、もともとITの発達というのは、効率化するためのもの。いつまでも手入力するのではなく、パッっと撮って、さっとホームページに移動する。便利なものの導入に積極的な中国では、そのうちIT普及も日本を抜くのではないか、と思いました。


嫌麻烦 [xian2 ma2 fan]

28.因果応報とプチ脱線

2015/03/23 10:46 に Sae Goto が投稿

先日、あるクライアント様とのお話している中で、「やっぱり真面目にコツコツするもんですよね。ちゃんとその努力は因果応報で結果として出てきますよね。」という話があり、ふと「因果応報」が中国語にあるか、調べてみたくなりました。もともと仏教用語ですので、中国も経由しているとは思うのですが、実際使われる言葉として存在しているのか…と、中国語の最大検索サイトの「百度」で調べてみると、ありました。でも、少し違います。日本語は「因果応報」、中国語は「因果报应(報応)」。応報の漢字の順序が逆になっています。

このような日中両国語の違いは、よく見られることですが、意味そのものは、同じことでした。良いことをすれば良い結果を生み、悪いことをすれば悪い結果に陥る。ただ仕事でも学問でも、日ごろの努力の結果というのは、そう簡単に出るものではありません。また人間とは弱いもので、努力の継続の途中で、できれば楽にいきたい、さぼりたい、休みたい…という誘惑に負けてしまうもの。

でも、私は長い継続のためには、たまに「少し」休むこと、「少し」さぼることは大事だと思います。「これって、ちょっとお行儀悪いよね…」「これってさぼってることだよね…」という「プチ罪悪感」は、ちょっとした気分転換にもなります。大事なのはその休憩なりちょっとした脱線を「プチ」と言えるレベルで止めておき、気分転換が終わったら可及的速やかにもとのコツコツ・ワークに戻ることですが、それをコントロールできるようになることも、楽しく明るく生きていく能力の一つだと思えます。

そしてもう一つ大事なことは…努力の継続に集中していると、周りが見えなくなるものです。その努力の方向が、時代の流れに会っているのか、社会のニーズから離れていっていないか、自分の世界に埋没してしまっていないか…。時々休憩することで、レビューの機会にもなります。

「あそびごころ」、「ユーモア」というのは、こんな時に必要なのかな、と思います。長い道のりを、辛い時も、体調が良くない時も、良い結果という目標に向かって歩き続けるために、ちょっと目線を変えたり、悪い因果応報を生まない程度に(!)ちょっとさぼったりすること。どんなに忙しくてもそのキモチは持っていただいものですね。

因果报应 [yin1 guo3 bao4 ying4]

27.当事者は迷い、傍観者には明らか

2015/03/16 10:10 に Sae Goto が投稿

月末に中国出張を控え、日本製品の中国市場調査について、沢山やりとりさせて頂いています。日本と中国という、似ているようで異なる性質・規模を持つ市場で、その商品を投入したときにどんな反応が起こるのか、実際投入してみないと分からないこともありますが、新規市場参入の際に非常に大事なポイントがあると考えます。それは中国市場が巨大であること、そして日本の商品(特にニッチ系)が特殊で大量生産ができないことです。

中国の市場がとにかく大きい、というのは、国土面積も(だから運送面のコストや時間の考慮・管理の難しさがある)、人口も、そして収入層も宗教や民族の種類も、とにかく複数の要素が「とにかく多い・大きい」ということであり、単純に日本がいくつ入る、という規模の問題だけではないのです。

一方の日本の商品・サービスは、ある均一な社会に向けて、その行動の先を行くような、「おもてなし」や「便利さ」を先取りしたようなきめ細かさ、美しさを追求していることが多く、上記のようないろんな要素が絡み合った巨大市場には、うまくヒットしないことがあります。いや、正しく言うと、巨大市場の中で、ヒットすべき人や集団に向けて発信すること、リーチすることが非常に難しいのです。つまり、日本でマーケティングするより大変(な場合がある)、ということです。

「日本でも結構重宝されているんですよね。【だから】中国でも売れると思うんです。」

この場合の【だから】は、価値観の押し付けであることが多いのです。

「日本でこの商品はこういう問題解決に役立っているのです、【だから】中国にも同じ問題を抱えているところがあるなら、売れると思うんです。→そんなところがありますか?」

というアプローチであれば、私としてもパートナーに聞きやすいですし、中国パートナーも具体的にイメージして売先・売り方をアドバイスしてくれます。前者のような聞き方をされる場合、市場どころか自社商品の客観的な位置づけや良さを、いまいちアピールできない場合が多いのです。でも、商品購買意欲旺盛な中国の消費者は、インターネットで情報収集を積極的に行い、日本から商品を買っています。そう、市場側からアプローチされているのに、売る側が自分の良いところを分かっていない。まさに「当事者迷 傍観者清(ダン・シー・ジャ・ミー、パン・グヮン・ジャ・チン)」灯台下暗し。まず客観的に自社商品の良いところ、どんな問題解決に役立っているか、もう一度見直してみましょう。

当事者迷 旁观者清 [dang1 shi4 zhe3 mi2 pang2 guan1 zhe3 qing1]

26.牛さんにお琴

2015/03/09 0:21 に Sae Goto が投稿

先週も、有難いことに色んな方とお会いし、あるいはメールやSNS等で情報交換させていただきました。お仕事上の相談あり、ビジネスの打ち合わせあり、雑談に近い交流もあり…。こういった情報交換は定期的に行いたいものなのですが、残念ながら相手のあることなので、なかなか万遍なくコレポンすることは難しくて、どうしても一時に重なることが多いようです。

気持ちに余裕があるときは、まだそれでも忙しさを楽しみながら、頭や話題の切り替えを人によって素早く行えているのですが、心身共に疲れたり、何かの締切が近づいて焦ったり苛立っていたりする時は、ついつい事務的になるか、わかったような決まり文句で返してしまったりするものです。また、同じような仕事を連続して行っているときもそうです。私達の仕事は、一社一社、クライアントさまの状況は異なるのに、どうしても過去の小さな経験を持ち出したりしながら、「経験がある」ということを相手に示そうとしたり、経験値を無理に活かそうとしてしまって、効率的にしてしまったがために、よい成果を生まないことが多いのではないかと思います。

さらに、知識と現実との結びつけ。これも、診断士受験の際に習った経営理論や助言理論、折角覚えたことなので、できれば使ってみたい言葉も沢山あるのですが、それは「診断士としては」面白いだけで、クライアントさんにとっては、何の役に立たない言葉かもしれません。また、耳慣れない言葉なら、どんなに状況が合致していても、どんなに有難い言葉でも、それは馬の耳に念仏と同じで、説明している診断士も企業さんも、お互いに分かり合えない無駄な時間を過ごしてしまっていることになります。

そう、「馬の耳に念仏」と言いましたが、実はこれ、中国語にも色々ありまして、今日ご紹介するのは「对牛弹琴」(ドゥイ・ニィウ・タン・チン)→「牛に対して琴を弾く」です。互いのレベルが釣り合わないところでコミュニケーションしても、時間や労働力の無駄、ということですね。

私達の仕事の目的が、あるべき姿をご理解いただいて、実行に移していただくことだとするならば、やはりそれぞれのフィールドで動いてもらうことが一番大事なのです。すると、それぞれの業種・業界の「地」での実状の把握、問題解決が一大事。馬さんとは馬さんと話すように、牛さんと話すときは牛さんの気持ちになって…。ちょっと難しいことではありますが、寄り添うことの第一歩のような気がします。


对牛弹琴 [dui4 niu2 tan2 qin2]

25.夜の車は火の車?

2015/03/02 0:17 に Sae Goto が投稿

風はまだまだ冷たいものの、日差しや草木のあちらこちらに春の訪れを感じるようになりましたね。ただ、気温の低さがいくらか和らいでも朝が起きづらいのは、春眠暁を覚えず、だからでしょうか?私の場合は…昼間にできなかった事務仕事を、どうしても夜中にまで持越し、初めは眠いな…と思いながらも、それを乗り越えてしまうと夜中にハイテンションになってしまい、日付も越えてしまい、翌日に辛さを持ち越してしまう。そんな塩梅…なんです。(いつもではないですが…)

なにも自慢できたことではないですね。やはり自然な体のリズムに合わせると、できるだけ明るい時間に活動して、夜はゆっくり休み、翌日に備えるのが長続きとクォリティー維持向上のための基本。そのチェックの意味もあり、私は週に数日、朝にジョギングしています。朝気持ちよく起きられているか、走りながら体にだるさや重さがないか、変に太っていないか…。

睡眠不足でジョギングすると、その時はなんとかなっても、その後、特に昼食後の睡魔がこれまたスゴイ!!それで集中力がなくなったり、家事の忙しさもごまかしになったりで、また夜にハイテンションに…という悪循環。そんな徹夜の状況を中国語で表すと、开夜车(開夜車:カイ・イェ・チャー)といいます。「開(カイ)」とは、(車を)運転するという意味の動詞。夜の車を運転するのが徹夜の意味。

如何にも眠気を無理に押さえながら、悪循環に突き進む様子を表している!と思いませんか?そうそう、何かの雑誌でも読みましたが、夜中に起きていて睡眠不足になる方が、太るというデータもあるようですね。私自身も睡眠不足で痩せるときもあれば、太る、というよりも浮腫んでしまうことがあります。どうしても無理をしなければいけない時もあります。でも、そんな時に多少の無理でも押し通せるよう、普段は体を鍛えて、しっかり気力と体力をつけておかないといけないですね。

春になると、ちょっと気持ちも緩むもの。三寒四温でカラダもびっくりしています。健康管理については、より引き締めて行きましょう!より良いシゴトをするために。


开夜车 [kai1 ye4 che1]

24.商売繁盛の神様を迎えに

2015/02/23 18:54 に Sae Goto が投稿

今日は旧暦の1月5日。中国語では初五(チュー・ウー)といって中華圏では道教の財の神、趙公明が下界に降りてくる日。その神様を迎えに行こうと(接財神)、昔は市内を練り歩いたり、今でも爆竹を鳴らしたり、という風習があるようです。お正月の商売繁盛の神と言えば、日本では恵比寿さまですが、これは七福神の中でも唯一、日本の神様で、中国語の「財神」の和訳が「恵比寿」と書いてあるものもあります。

さて、そんな商売繁盛の神様を祀る日に関連して、中国本土とシンガポールという中華系の両国で過ごした私は、中華圏の広さを思い知らされたエピソードを二つ紹介します。

ひとつは、「賀詞(フー・ツー)」と言われる、お正月に使われるおめでたい言葉です。日本では四という数字は縁起が良いとはされませんが、中国ではお菓子などの詰め合わせも四つなどと言うのは普通の事で、四字熟語も好んで使われます。旧正月に良く使う四字熟語というか、おめでた用語には「新年快楽、身体健康、一切順利、万事如意…」などと言うのが良く使われます。私が初めに中国語を勉強した時も、やはりこのような言葉を習ったのですが、シンガポールで暮らしていた時、上記のような言葉よりも「恭喜発財」という、「もうかっておめでとう!!」と、ちょっと日本語に訳すと歪な感じがする文句がお正月時期にはあらゆるところで貼りだされているのが気になりました。う~ん、やはり中華系経済大国なのか、と。

もう一つはお正月料理。シンガポールでは「魚生(ユィー・シェン)」というお刺身がトッピングされた千切り野菜のサラダを食べるのです。あ、お刺身は本物ではなく、イカのお刺身に似せたココナツとか、乾物とか…。ホテルのメニュー紹介でも英語で「Chinese Traditional Salad」と説明があったのですが、実際そのことを上海の友達に話すと、誰も「聞いたことない」との反応。シンガポールに移民されたのは、福建・広東省からでしょうから、上海の人には何のことやら、なんでしょうね。

と、いうことで、お隣の国とはいえスケールが半端じゃないワンダーランド、新しいビジネス創造に向けて、財の神様を迎えに行きましょう!!


接财神 [jie1 cai2 shen2]

23.新年快楽!

2015/02/16 0:15 に Sae Goto が投稿

今週は中華圏では旧正月。旧暦の一月一日なので、毎年何月何日かは異なり、今年は2月18日が大晦日、19日が元旦。中国本土なら一週間お休みで、新加坡では確か、三日間お休みだった…でしょうか。日本に帰国して二年が経ち、あの賑やかだった旧正月前の街の盛り上がりが何となく懐かしいです。

二年前の旧正月、私は今もお付き合いのある中国文化伝承に熱心なコンサルタント会社のイベント、在上海外国人向けの旧正月パーティーで、日本語通訳をさせていただきました。そのイベントでは上海の歴史学の先生による旧正月習慣の説明、そして生け花の先生による中国生け花の講義があり、当然私も初めて聞くことが多いため、事前に念入りに打合せ、当時毎週来てもらっていた中国語の家庭教師の先生とも内容を確認して本番に臨みました。

特に思い出深いのは、中国生け花でも「天・地・人」を意識する、ということ、そして日本語でも春を告げるという草花が、中国の春節の生け花でも使われる、ということ。たとえば…「南天」=「南天竹(ナン・ティエン・ジュ)」、「蝋梅(ろうばい)」=「蜡梅(ラー・メイ)」、「ネコヤナギ」=「银柳(イン・リィウ)」などなど。生け花は日本独自の文化だと思っていましたが、中国でも華道があり、今は互いに影響・交流し合っている、ということを聞いて、何とも言えず嬉しい気分になったことが思い出されます。今も昔も、両国で文化交流がなされている、ということが。

(2013年 旧正月パーティー@上海にて。中国生け花の先生と。)

中国のみなさん、どうかこの一週間、家族団らん故郷でのお正月を楽しんでくださいね。そしてリフレッシュできたら、また一緒にビジネスを創造して、新しく素敵な春を迎えられますように!

新年快楽!!一切順利!!恭喜発財!!


南天竹/蜡梅/银柳 [nan2 tian1 zhu2/la4 mei2/yin2 liu3]


22.ジョークではなくてユーモアで

2015/02/09 11:21 に Sae Goto が投稿

日本語でも「ま~るく収める」とは、よく言いますが、それは中国語でも同じ。「打圆场(打円場:ダー・ユェン・チャン)」、場を丸くするんです。「打」という漢字は、中国語では必ずしも「打つ」という意味ではなく、「する、なす」的なイメージでしょうね。敵対関係やケンカ状態になった二者間の仲裁に入り、円満解決をはかることなんですが、そのプロセスは日中両国で少し違う側面、お国柄が出ているな~と思うことがあります。

日本人の「ま~るい解決」は、お茶を濁す、問題の本質から反れる(逃げる?)、若干苦笑い的な解決が多く、一方の中国、いや、多分中国だけでなく、ロシアにも住んでいた私には大陸国の方々に共通なのではと思えるのですが、こちらは仲裁するには結構痛いところにも踏み込んで、言いたいこと言って、最後にすっきり笑える、そんな感じかな…と、思っています。(だからやっぱり、中国では「打って」丸く収めるのかも!?)

どちらが良いとか悪いとかの話ではなくて、国際交流に関する討論でもしばしば話題に上がる、「違いを受け止めること」「ユーモアを持つこと」あたりの地盤の違いなんでしょうね。日本では圧倒的多数民族の行動パターンがスタンダードになっていて、集団の中では異質な存在をプラスイメージで捉えない、また、集団の底上げには「護送船団方式」で力を合わせて頑張れる(だから震災が起これば他国が賞賛する結束力を発揮する)。

一方の大陸の国では、古くから民族間の争い・解決・共存を繰り返し、異なる生活習慣を持つ人々が同じ大陸にいることが大前提になっている。だから「そんなこと、言わなくても分かっているでしょ?」と日本人なら思えるようなことでも、発信して、ぶつかって、「ま~、違うんだから、仕方ないか。この辺で妥協するか。」と、万国共通の「笑い」で終わる。中国語のWikiのサイトでも「打円場」には「幽黙(“ユーモア”の中国語)が必要とありましたが、日本人の、特に中高年以上の年代は「ユーモア」と「ジョーク」の区別がつかない場合が多いと思います。

でもグローバル化、ボーダレス社会を目指す世の中の動きの中で、ユーモアのセンスは本当に大切。私自身の解釈として、ジョークは笑わせることを目的にしているので、職場で多用するのは不謹慎なこと、ユーモアは異なる価値観を越えて「いいね!」「Good idea!」と共感を呼び、そこに笑顔が付随してくるような、オンもオフも兼ね備えておきたい心の余裕、大らかさではないかと思っています。では、今週もそんなユーモアのセンスを磨けるよう、大らかな気持ちで頑張りましょう!


打圆场 [da3 yuan2 chang3]

21.青年よ、憤れ!

2015/02/02 22:04 に Sae Goto が投稿

「論語」の一節なので、御存知の方も多いかと思います。「憤せずんば啓せず」。考え抜いても、調べまくっても、どうしても分からなくて、怒ってしまう(憤ってしまう)。学生がそのぐらいでないと、先生は教えない(啓示しない)。学生がその程度にまで達していないと、先生は教えてもしかたない、という意味です。

確かに、学ぶ方がやる気がないのに教える方が必死になっても響かないですよね。でも、やる気になるのを待っていても、いつになるかわかりません。ずっと機会は来ないかもしれません。やる気になるときにしか教えないというのは、非常に上級で高等レベルの話なのでしょう。特に子育て真っ盛りの私には、どんなにやる気があってもなくても、毎日毎日根気強く同じことを言い続けることが教育・しつけ…みたいなところがあります。

ただ、草食系男子が増えたとか、海外に進んで出て行く若者が減ったとか、ゆとり教育でダメになった…とか、近ごろのワカモノのパワー不足を嘆く声はよく聞かれます。この原因の一つは、日々の教育の中で与える→知識を得るという、受け身の学びに慣れてしまった結果ではないかな、と思っています。

憤るほど、怒るほど真剣に考える、答えを求めて必死になるというのは、能動的・自発的な行動です。「~してはいけません」「~するのをやめなさい」と、自発的行動を制止する命令はあっても、「やる気になりなさい!」というような、自発性を促す命令は、言ったとしても、行動できるようになるものではないですね。職場でも、働きすぎる人をストップさせることはできますが、やる気が無い人にエンジンをかけさせることは…大変難しいですよね。

では、どうしましょうか?

日々の教育目標を、そういった自発的パワーをつけることとし、「~しなさい」という一方通行の言葉の流れではなく、問いかけ、答、問いかけ、答…と、回答を考えさせる習慣をつけることなのかな…ん?これは、コミュニケーションですよね!?

日々のことばのやりとり、これこそ高度な学問に結びつく日々の教育の、とっても大事な要素のような気がします。どうでしょうか?


不愤不启 [bu2 fen4 2 bu4 qi3]

20.90歳の夢

2015/01/26 11:42 に Sae Goto が投稿

その昔、愚公という名の90歳のおじいさんがおりました。そのおじいさんは、周囲に立ちふさがる山が邪魔で、どこへ行くにも廻り道が必要なため、その山を切り崩して道を作ろうとします。その老人の気が遠くなるような手作業の計画の無謀さを笑う人々。それに対して、愚公おじいさんは、自分の子供、孫、そして代々続いていく後世の人々のために、今行っていることは決して無駄にならない、と諭す…という、中国の古典『列子』にあるお話です。

おじいさんの名前「愚公」と聞いて、ふと「愚直」という言葉を連想しました。真面目なだけで臨機応変に行動できない、という否定的なニュアンスのある言葉です。職場でも、同僚や取引先の人をつかまえて、「真面目さは良いんだけど、いまいち要領がよくない…」、「器用で仕事はそつなくこなすけど、真面目に努力しない…」など、真面目さと臨機応変さのバランスについて評価(うわさ?)されることがありますよね。どちらが良いのでしょう?

もちろん、両方のバランスが取れていれば、こんなに素晴らしいことはないと思いますが、そこは人間、百点満点はなかなかとれません。だとすれば、私は、やはり基本は「真面目にコツコツ」だと思うのです。いや、「真面目にコツコツ」がなければ、その次は何もないと確信しています。その積み重ねの結果、経験値と技術の習得で要領の良さや臨機応変さも身についていくんでしょうね。

最近、家族に「人生後半に入っているのに、よくそんなに色々頑張るね!」と言われました。そのことを、子供のケアでお世話になっているファミリーサポートの協力会員さんにお話したら、「人生は後半からが面白いのよ!!」と言ってくださいました。そうですよね!夢は大きく、希望は小さく、目の前にあることを、コツコツ片付けていきながら、大きな山を動かす仕事に向かうこと、いままでの経験や知識を思いっきり働かせて、応用していくこと、確かに体力や記憶力は一定の年齢から落ちて行きますが、人生後半でないとできないことは沢山あると思います。

ちょっと今の私には苦しいかな…と思ったときには、90歳の愚公おじいさんのお話を思い出すと、ちょっと勇気がもらえ、前向きな気分になれるかもしれませんね。


愚公移山 [yu2 gong1 yi2 shan1]

19.災い転じて…

2015/01/19 9:12 に Sae Goto が投稿

最近、色んな方に、色んなところで助けていただき、「ありがたい!助かった!!」という思いを何度もしています。しばらく連絡していなかった人でも、久しぶりにメールでお願いしてみると、直ぐにアクションしてくださったり、応援の言葉もくださったり…。

会社を作って1年半になろうとしますが、何かが回り始めると、少しずつ順番に進むことは殆どなくて、ありがたいことに急激に忙しくなっている状況です。しかも、チアーマンサポートでは、コンサルタント事業というよりは、ビジネス創造のお手伝いを主にさせていただいているので、私一人、弊社一社で何かできる、ということは殆どなく、私の国内外のパートナーとの協業に依るところが非常に大きいのです。(チアーマンサポート“される”会社かもしれません!!)さらに、プライベートの面ではまだまだ育児やそれに関わる家事もあります。一日24時間をどう使うか、ではなく、24時間の中に、二、三件の同時進行も含めて、どう詰め込むか、という考えで、いつも動いています。

そんな状態なので、何かひとつ不調をおこすと、すべてのバランスやスケジュールが崩れてきます。でも、今のところ、幸い一部の崩れでなんとか持ちこたえられているのは、冒頭にも書いた、本当に色んな方のサポートがあるからです。上手くいかない、時間が足りない、手が足りない、間に合わない、ピーンチ!!そんな時に、手を差し伸べてくださる方々が居てくださるので、これぞ本当に災い転じて福となす、中国語でも同様、『转祸为福(転禍為福)』:ジュワン・フゥオ・ウェイ・フー…だな、と実感しています。辛い時にこそ、人の優しさが感じられ、感謝とその人の為にも役に立ちたい、という感情も生まれるんだな…と、そんな気持ちをかみしめています。また、手を差し伸べてくださった方の気持ちに応えるためにも、何とか持ちこたえて、乗り越えないと!!というパワーも湧いてきます。

でも、いざと言うときに助けて頂くためには、きっと普段が大切なんでしょうね。診断士協会の中での、所謂同業者団体のボランティアの仕事も、時間や手がかかることは多いですが、お仕事を紹介していただいたり、色んなところでお声をおかけいただいたりすることを考えれば、普段から他人のためを思って活動にも参加しておけば、何か良いことが自分にも降りかかってくる、って考えても良いのかな、と思っています。PTAも、地域のスポーツ少年団の役員も。人付き合いって、ちょっと面倒なところがあるけれど、やっぱり助けあえるのは、人、ですからね。改めて気持ちを引き締めています。今週も頑張りましょう!!

转祸为福 [zhuan3 huo4 wei2 fu2]

18.どんな羊になりたいですか?

2015/01/05 15:42 に Sae Goto が投稿

2015年初めのコラムです。今年はひつじ年、ということでひつじに関する「こと技」をひとつ。「羊毛出在羊身上(ヤン・マオ・チュー・ザイ・ヤン・シェン・シャン)」羊毛は羊からしか取れない、ということですが、どういう意味でしょう?羊毛が成果物、利益だとすると、その在処は自分の身にあるということで、何か利益や良いことがあっても、それは元々自分の身から出ている、ということのようです。

バーゲンで買ったものに得をした!と思っても、結局は自分の懐からお金を出して買っている、夫の誕生日プレゼントを夫からもらっている生活費から買う…。

得をした、良いことがあったと、過剰に喜んでいる人に対する戒めの意味が濃いですね。冷静に考えてみれば、全部自分がその原因を創り出しているということですから。でも、逆に考えてみると、良いことや利益は、全て自分の努力の結果でしか得られないということなんでしょうね。

当社も設立して二度目の新年を迎えました。経営コンサルタントをするには、自分が経営をしないと!というのが、まさに「羊毛出在羊身上」。良い時も、ピンチの時も、ドキドキするときも、わくわくするときも、それらを越えていくことで、一回りも二回りもふかふかの羊毛を蓄えた羊になれるよう、精進してまいりたいと思います。みなさま本年も何卒宜しくお願い申し上げます。


羊毛出在羊身上 [yang2 mao2 chu1 zai4 yang2 shen1 shang4]

17.コップの水とバケツの水

2014/12/22 11:09 に Sae Goto が投稿

“给别人一杯水 自己要有一桶水”「他人に一杯の水をあげるには、自分は一杯のバケツの水が必要だ。」とは、よく言ったものです。私は大学卒業後、京都で1年、ロシアのウラジオストクで2年と、合計3年日本語教師をしていました。大学では日本語教育専攻でもなかったので、初年度は日本語教育通信課程の所定の1年分を、猛スピードで勉強して半年で修了しました。そしていざ、教壇に立つと…教えるために得た知識は物凄く沢山あるのですが、生徒さんの母国語、学習意欲や目的、外国語学習歴…などを考えると、あまりに多彩で、日本語教師として私が教えたいことを教室で展開していくことは、非常に無理がありました。学習者側のニーズと能力を確認しながらしか進められないのです。

特に、中国残留孤児のセンターで教壇に立った時はそうでした。当時の厚生省(今の厚生労働省)から、各地域の中国帰国者自立研修センターに指標として掲げられていたレベルにまで限られた時間でプログラムを消化する(孤児の皆さんやその家族の方々に体得してもらう)のは、一部の方には易しく、一部の方、特に幼少期から農村仕事が忙しく、学校も行けず、文字も知らない方々にとっては、並大抵のことではありませんでした。それでも日本入国日から起算して同じ日本滞在歴の方を、同じ教室に入れて1時間過ごすのは、皆が苦痛だったと思います。それで教師の方に知識も経験もそして気持ちの余裕もなければ、誰も満足感を得ることができません。

ところが、ロシアに渡り、民間学校で教えた始めた時。その日本語吸収への意欲は、社会主義崩壊の勢い同様非常に強く、教科書以上のものを学ぼう、生の日本人である私と、できるだけ話す機会を掴もうとするエネルギーを嬉しく思う反面、大学卒業直後から教師になった社会人としての経験の無さを不安に思い、何でも良いから必死で読み、情報を得ることで気持ちを落ち着かせていました。それでもやはり、自分は日本での社会経験のない薄っぺらい教師のような気がして、二年で帰国して会社員になることにしたのです。

時は過ぎ…今に至る訳ですが、教師でない今でも、コンサルタントという立場でも同じことが言えると思います。診断士試験のために勉強したことは膨大な情報量ですが、一時のテストで合格ラインを越えたことで慢心していてはいけない、ということです。所詮何かを教えるために、あるいは経営の問題点と改善提案を伝える時間はほんの一時です。その一時で「自分の知っているすべてを吐き出す」のではなく、相手が一を聞いて十を知れるような、一を聞いて十質問してきても大丈夫なような、アウトプットの方法を磨くことと、差し出す一杯の水をより濃くし、自分が持つバケツの部分を常に更新&蓄積する努力を惜しまないことなんだと思います。

と、いうことで、今年のコラムはここでおしまい。来年も事業に活きる、ことばの技、事(こと)業(わざ)&ことわざ、自分に言い聞かせる目的半分(以上!?)で書いてみようと思います。

みなさま、どうか良いお年を。祝你们新年愉快, 身体健康, 全家幸福!!


给别人一杯水 自己要有一桶水

[gei3 bie2 ren2 yi4 bei1 shui3 zi4 ji3 yao4 you3 yi4 tong3 shui3]

16.ゴタゴタはつきもの!

2014/12/15 23:16 に Sae Goto が投稿

はじめに、また先週の更新をスキップしてしまい、申し訳ございませんでした!!実は12月3日から5日まで、上海に出張しており、そのことを書こう!と思いつつ、その前後のバタバタで…今日に至ってしまいました。(言い訳、言い訳…!!)

株式会社チアーマンサポートも、設立1年余り。「中小企業さんの経営支援事業」として、この私に何ができるのか、調査のつもりで立ち上げたのですが、確固としたルーティンワークにまでは至っていないながらも、蒔いた種はそれなりに芽を出して成長してくれおり、いくつかの案件を並行しながら走らせている状態です。ただ、健康管理の事も考えると、どれか一つは辞めてもいいのかな…なんて思うこともあります。

ただ、程度の問題はあるものの、ちょっと背伸びして、ちょっとだけ無理かな…というぐらいが、ステップアップも望めて、時間的にも集中して頑張れるような気もします。お仕事なので、100%プロとして完成させなければならないのですが、やる前から100%確実が分かり切っているレベルなら、自分も気が緩んでしまうだろうと危惧するからです。

レベルや時間の問題以上に、自分ではどうしようもコントロールできない突発的なアクシデントや、コントロールしようがない相手(顧客やパートナー)の事情で、案件が進められないこともあります。でもこれは、本当に自分でコントロールできないのですから、遭遇してしまったら諦めるしかないですね。でも、その時に「自分は本当についてない!」と思わずに、「何事にもトラブルはつきもの。」と思いこむようにしています。

中国語でも「好事多磨」(ハオ・シー・ドゥオ・モー:良いことには邪魔が多い)と言います。自分が「これだ!」「ここだ!!」と思ったら、しばらくは自分の感性を信じて多少の邪魔があっても、そんなもんだ、と思って突き進むことですね。今回の上海出張も、出発するまでは家のことも片付かないし、睡眠はとれていないし…と思っていましたが、やはり行って見るとその価値はありました。

私も中国とのお付き合いは長く、「中国はこんなもんだ」と思っていることも、世の中は大きく変わり、実際言ってみると私の仮説が崩れたこともありました。出張が大変だからと来なかったら、間違った方向に進んでいたかもしれません。

ちょっと大変方、嫌だな、と、ネガティブな気分になったら、そんな時は病んだ気持ちで一大決心をするのではなく、「こんなもんだ。これを越えたら良いことがある!」と信じて、明るく切り抜けましょうね。


好事多磨 [hao3 shi4 duo1 mo2]

15.千里の道も…

2014/12/01 9:32 に Sae Goto が投稿

とうとう今年も12月になりました。一年で最も落着かない月です。でも残りの2014年をより有意義にするために、また2015年が実り多い年になるように、私達の仕事や役目について、少し振り返って考えてみたいと思います。『私達』というのは…もちろん弊社もそうですが、中小企業さんの国際化を支援する事業者、としてみますね。

週末、国際化を支援したい『中小企業診断士』は、どうサポートすればよいのか?というテーマで、東京都診断士協会城北支部・国際部さんのセミナーで登壇させていただきました。診断士の資格をとっても、海外業務や駐在の経験があっても、今の仕事を辞めて独立してやっていけるのか、すぐにクライアント企業が見つかるのか、という不安がつきものです。一方、今の経済の流れの中、多くの中小企業さんは国際化することで何らかの経営問題の解決を図ろうとされているものの、関心があったり、或いは必要に迫られたりしていても、何から着手してよいのか分からず不安に思われているところも多いと思われます。

私は、診断士がこのような企業さんの海外展開について、アドバイスしたり、マッチングするだけの役割になるのではなく、自分も企業さんと協業して国際化に踏み出す、ということが双方にとって良いのではないか、と思っています。海に囲まれ、方言以外の多言語に出会うことがほとんどない日本。こんなに毎日飛行機が世界の各地と何往復とつながっていても、やはりビジネスとして出て行くことはリスクやためらいが生じるものです。だからこそ、信頼できるパートナー関係を築き、一緒に海外展開することが大事なんだろうな…と思っています。現在経営上の問題があり、課題克服の為に海外展開案が浮上したとする。それをやるかどうかは、もちろんある程度のリスク分析や調査も必要でしょう。でも、どんな調査も100%確実なものはありません。「ある程度」が終わったら、一歩踏み出すことが、大事なんだと思います。踏み出して失敗しても、あとで反省材料になります。うまく行けば、次へのステップになります。

「千里の道も一歩から」と日本語でも言いますが、中国語も全く同じ意味の言葉があります。「千里之行 始于足下(チィエン・リー・ジー・シン シー・ユィー・ズー・シャー)」。2014年はどれだけ進めたでしょうか?レビューしながら、2015年を気持ちよく迎えられるよう、残り一カ月の追い込み、がんばりましょうね!


千里之行 始于足下 [qian1 li3 zhi1 xing2 shi3 yu2 zu2 xia4]

14.外国語ができなくても!

2014/11/24 22:20 に Sae Goto が投稿

先週は、展示会で新しい出会いがまた、ありました。展示会というのは、本当に立ちっぱなしで、またアチコチ歩き回っては目ぼしい商品はないか、面白そうなものはないかと目も酷使するので、脚も目も、そしてお喋り一杯して口も疲れてしまう、そんな機会でもあります。幸い、今回はそこまでの肉体疲労をしても、行って良かった!といえる出会いがありました。

中国の某民間企業の社長さんで、高等教育も受けていない、海外留学(大陸だから「海外」ではなく、陸続き留学でもOK?!)も経験ない、そんなバックグラウンドの持ち主なんですが、或る商品についてのこだわりと、納品した商品を突き返されてもめげずに失敗の原因究明とその克服を繰り返し、今や大企業のトップになった、というような方です。でも、最近の所謂「富裕層」と言われるような方々の雰囲気を想像すると、今回出会った社長さんは全くかけ離れたイメージで、飾り気もなく、中国語もちょっとカントリーな感じで、少しお話しただけなんですが、真面目で誠実で、でも明るいお人柄がすぐに分かるような、そんな方でした。

今日、東京都中小企業診断士協会国際部主催の国際交流会でも、中国ご出身の二人の社長さんがおられ、彼らも「是非現地の民間企業と付き合ってください」「良いパートナーを見つけてください」と仰っていましたが、本当にその通りだと思います。日本企業は、職人肌のものづくり屋が多く、海外に出る、売り込む、プレゼンをする、ということになると一挙に引っ込み思案になってしまいます。それは外国語に弱いとか、異文化に接することに慣れていない、ということもありますが、前述の中国の社長さんも海外取引をどんどん増やしている割には、英語も日本語もお話になられません。日本より圧倒的に海外に出る事の規制が多い国なのに、ご自身でゼロから品質管理を徹底し、国際化の展開をされているのですから、本当に勇気を頂いてしまいます。

日本語では「裸一貫からのスタート」と言いますが、中国語では「白手起家(バイ・ショウ・チイー・ジィア)」真っ白の、何もない手で起業する、ということで、同じ概念を示します。特に最近の中国では白い手の起業家さんが増えており、本当に日本人受けするようなコツコツ型の方も多いと思います。そんな物事の価値基準を共有でき、信用できるパートナーを増やすことが、事業の国際化には本当に必要なんだと、また強く再確認できました。


白手起家 [bai2 shou3 qi3 jia1]

13.天衣無縫、そのココロは?

2014/11/10 0:59 に Sae Goto が投稿 先週も、或るクライアント様のところで、経営陣の方や従業員の方々とお話させていただき、もう何度目か、ではありますが、痛感したことがあります。本当に何事もセオリーだけでは上手くいかないことです。広くは世界、その企業が置かれている国や社会全体、業界、そして地域やその企業内外の関係者…その状況に応じて、基本となるセオリーを、どんな形で、どのぐらいのスピードで、誰に対して展開していくか。そしてその応用から、また如何にシンプルに、基本に戻って行けるか。この舵取りが自然かつスムーズにできるように、私たちは努力していかないといけないんだな…と。

中小企業診断士の私が言うのも変かもしれませんが、中小企業診断士という資格は、実に面白くて不思議です。「中小企業さまの経営の支援をする」という目標に向かうことは共通でも、アプローチは色々で構わないのです。企業のライフサイクルで区切っても、業種で区切っても、業務内容で区切っても…。だから、なのかもしれませんが、同業者で「取り合い」やカニバることが、あまり見られないような気がします。

それだけに、難しいのが「何を拠り所にすれば良いか」であり、どうしても基本理論に戻り、それに沿って進めたくなる。でも、現場は着いてこない。着いてこないのがいけないのではなく、着いてくるような進め方ができていないことの方が多い…ような気がします。まず私たちが見るべきところは教科書にあるセオリーではなく、その企業さんと、企業さんが置かれている環境なんだろうな、と。そして、どんなアプローチでも構わないからこそ、自由な発想で、その企業さんに最も適した自然な良い形をデザインし、組み立てる、あるいは組み立てなおすお手伝いをするのが、求められている仕事なのかもしれません。

「天衣無縫」(てんいむほう)とは、日本語では天真爛漫とか自由奔放のようなイメージで捉えられていますが、中国語の天衣无缝(ティエン・イー・ウー・ファン)は、天女の衣に縫い目が無いのに、自然で完璧であることから、自然で隙が無く完璧である様を指します。私もふと、コンサルタントとして目指すべきはここかな、と思いました。如何にも「私が着手しました!」と縫い目をつけるのではなく、それぞれの企業さんが、活き活きとできる姿に「自然に」「自分達でできるように」方向を示すこと。他人がいきなり土足で踏み込んでアチコチ縫いまくっても、すぐに綻びては困りますものね。


天衣无缝 [tian1 yi1 wu2 feng4]

12.龍はコワイ?

2014/11/03 10:14 に Sae Goto が投稿

今月末、中小企業さんの海外進出支援セミナーで講演させて頂くので、資料準備をしておりました。一口に海外進出支援と言っても、国内とは違い、色んな意味で「勝手の違う」ところに出て行ってビジネス上関係を持つことの難しさ、そして怖さは、ノウハウやネットワークを持つ大企業ならともかく、中小企業さんにとっては並大抵ではありません。

私も株式会社チアーマンサポートを設立し、自ら海外送金も行い、貿易事業にも直接絡みながら支援をさせていただく、ということを始めてまだ1年少々ですが、小さい会社だけに、怖さというのはいつも感じているのが現状です。でも、商社で得た経験、実は4か月間だけ在籍した乙仲で集中的に受けた研修、そして中小企業診断士資格の受験勉強…などを総合すると、知識や経験は、一般的に国内ビジネス一本で頑張って来られた方よりは、少しは分かっていますし、他人に対して説明もできる、という自負もあります。そして、ロシア、シンガポール、中国(あとフランスも2か月…)に滞在経験もあります。

ただ、果たしてそれだけで、「国際派コンサルタント」と言えるのでしょうか?というのは私の、自分自身への問いかけです。国際ビジネスは、何がリスクなのか分からないから、また言葉も違うから「危ない!」と言われても注意喚起できないから、だから怖いのです。外国語ができるから克服できるようなレベルではありません。でも、もし怖さを理解し、頑張れば良いビジネスになるかもしれないことを、誰かが一緒にやってくれたら…。そういうニーズがコンサルタントに求められているのだ、と私は思っています。

中国の成語で「葉公好龍(叶公好龙):イエ・ゴン・ハオ・ロン」というのがあります。楚の国の葉公と言う人は龍が大変好きで、服や家の飾りや、何もかも龍づくめにしていました。それを天から見ていた龍が嬉しくなって地上に降りて葉公に会いに来たところ、葉公は驚いて逃げてしまった、というお話です。「好きだ好きだ」といっても、好きなのは偽物の龍。本物の龍を見たら、怖くて逃げてしまう。要は「ホンモノ」を理解していない、という意味なのだそうです。

このお話は先日NHKラジオの『レベルアップ中国語』で紹介されており、それを聴きながらふと、思ったのです。これは、自分は安全なところから「国際化、国際化」とだけ言っているのと同じだ、と。説得力のある、行動力のある国際化支援。恰好よくて、力強くて大きな本物の龍に、一緒に会いに行くこと…のような気がしました。


叶公好龙 [ye4 gong1 hao4 long2]

11.健康って美しい!!

2014/10/27 9:16 に Sae Goto が投稿

先週は何故か会議が多く、一日に最高4か所アチコチする、というような日もありました。サービス財の特性のひとつに、「非貯蔵性」がありますが、本当に我々のようなサービス事業者は、閑散期と繁忙期を平準化するのが難しいものだ(いや、サービス業にかぎらず、ですが…)と毎度のことながら、痛感しておりました。

そして、もうひとつ、当たり前のことながら痛感したことがありました。健康の大切さです。先週のコラムも体調を崩して一日遅れのアップとなってしまいましたが、忙しさもあり、体調の崩れを引きずりながら、とにかく「会議もまずは出席した」「とにかく提出物は出した」というような状態で一週間を過ごしてしまいました。どなたも何度か経験されていることだと思いますが、体調を崩すと、頭は働かない、体も思うように動かない、それ以前に痛みや体の不具合のあるところに気持ちが行ってしまい、やりたいことが何もできない…。普段から当たり前のように動き回る私にとって、これほど辛いことはありません。しかも公私ともに、後回しにすることがだんだん山のように積み上がっていくことを想うと、それだけでも気が滅入ってしまうのです。

ところが、不思議なもので、不具合がなくなると、みるみるパワーが湧いてきて、とにかく動き回りたくなり、健康であることに感謝する、心から有難い!って思ってしまうのです。この繰り返しをできるだけ少なく、また元気な時と、そうで無い時のギャップをできるだけ小さくすべく、健康管理をしたいものだ、「やりすぎ」「休息不足」にとにかく注意したい(なかなかできない…)と思う今日この頃です。

そこで…ですが「元気」という言葉、日本語では毎日のように、挨拶代わりにも使われる言葉ですが、中国語では聞きません。軽く「元気?」というぐらいなら「好吗(ハオ・マ)?」のように「好」が常用されます。それよりちょっと格式高く、文語で「元気溌剌」な様を形容するには「神采奕奕(シェン・ツァイ・イー・イー)」という言葉があります。「神采」は実は日本語にもあり、精神と姿の意味だそうで、美しい風采のことでもあるようです。ただ、この四字熟語の指す「美しさ」は、形や色が綺麗ということではなく、「奕奕」、つまり活気がある、活き活きしているということだそうです。ちなみに日本語でも「えきえき」と読み、非常に美しいという意味があるんですって。そう、健康って美しい!活き活きしている姿は眩しいですよね。人も企業も、元気で美しくいられるよう、まずは自分も健康に気をつけねば!!!と、今週もがんばります。


神采奕奕 [shen1 cai3 yi4 yi4]

10.生姜の経験!?

2014/10/21 22:47 に Sae Goto が投稿

先週は、弊社クライアントさまの知的財産関連で、専門家との打合せがありました。経営コンサルタントとしては、当然クライアント企業の経営管理に関する情報を集め、注意を喚起し、管理を充実していくよう勧めるわけですが、私自身まだ経験が浅いこともあり、クライアントさまに助言するだけでなく、必要であれば代わりに話を聞きに行ったり、クライアントさまの専門機関へのヒヤリングに同行したりするようにしています。それは勿論、クライアント企業の要望・ニーズであることが第一なのですが、私自身の経験値Upのためでもあります。そして、その経験が次の機会に活かせるから、というのが最大の(私にとって、そしてクライアントさまにとって)メリットのような気がします。

私自身、何度か転職した際、履歴書に書かれているいくつもの資格よりも、ある特定の実務に対する経験の方が、より重要視されていたように思います。また「経験がある」というのは、人に安心感を与えるらしく、特に学校の先生については、ある程度経験のある先生が自分の子の担任になると、保護者の信頼を(一般的に、ですが)得られるようです。

ただ、経験が弊害になることもあります。自己の唯一の経験を、他のどんなケースにも当てはめようとしてしまう場合です。『唯一』と書いたとおり、これは経験があっても、一つか、極めて少ない経験のことで、「物事にはいろいろある、上手く行くときもあれば失敗するときもある」という経験データベースが大きければ大きい程、目下直面している問題が、どのケースに最も似ているか、あるいはケースAとBの混合か、など、多様に対処できるようになるのでしょう。

誰でも初めは初心者です。だから何も怖がる必要はないのですが、若さとパワーがあるうちに、色んなものに何度もチャレンジすれば自分も磨けるし、それが人に安心を与えるなら、努力しない手はないのでは…と思う毎日です。

亀の甲より年の功。これは、中国語では「姜还是老的辣(ジィアン・ハイ・シー・ラオ・ダ・ラー)」といい、直訳すると「生姜は古い程辛い」になります。生姜には身体を温める作用がありますが、私もまだまだ、もっともっと、いろんな経験を積んで、元気と温かみをもたらせるコンサルタントになりたいな…と思っています。


姜还是老的辣 [jiang1 hai2 shi4 lao3 de la4]

9.優しい言葉と優しい心で

2014/10/13 14:31 に Sae Goto が投稿

「優しい言葉と、優しい心で。」…実はこれ、我が家の子供達に普段言い聞かせていることです。どちらが先、という訳ではないですが、言葉と心とは密接な関係にあるようなので、殆ど自分に言い聞かせるように、常々家の中で口にしています。例えば、粗い言葉を使えば気持ちはささくれ、イライラしているときには暴言を吐いてしまいたくなり丁寧な言葉づかいをするのは、容易ではありません。逆に、心が穏やかでいるときには、相手に気を遣いながら言葉を発することができるし、丁寧な言葉づかいをする人に対しては、悪い印象は抱かないものです。

人間なので、絶対怒らない、絶対イライラしない、というのは到底無理な話なのですが、努力してできるだけ穏やかでいることは大切かもしれません。またそれはビジネスにも大きく影響します。

弊社では、経営のコンサルタントのみならず、並走・伴走・共栄を目指したビジネス創造も実施しています。やはり、起業もそうですが、何か新しいプロジェクトを始めるときは、あれやこれやと試行錯誤と議論を積み重ねなければなりません。しかも、仕事となると、大抵の人は「新しいプロジェクト」だけに労力と時間を集中できるわけではなく、会社やプライベートでそれぞれの「事情」というものを持っています。そして、「新しいプロジェクト」が暗礁に乗り上げるときに限って、それぞれの「事情」の方が忙しくなったりして、より構成員がイライラしはじめ、普段なら気を遣う言葉にも注意が行き届かなかったり、逆にいつもなら何とも思わない相手の言葉も、妙にひっかかったりするものです。

先週も、或る「新しいプロジェクト」の当事者が集まり、打合せをしました。乗り上げた暗礁について、話し合うためです。私自身、ちょっと心配はしていたのですが、皆さんが物凄く丁寧にそれぞれの事情とお考えを説明され、またその内容について傾聴される姿勢が素晴らしかったことから、非常にスムーズに会議が運び、「新しいプロジェクト」についても、暗礁のソリューションと今後のスケジュールについて意思統一が確認されました。

正に、中国語で言うところの「語重心長」(ユィー・ジョン・シン・チャン)。言葉は丁重に、心は深長に。どうにも物事がうまくいかなくて、イライラしてしまうときは、丁寧な言葉を意識して使ってみる、というのも良いかもしれませんね。

语重心长 [yu3 zhong4 xin1 chang2]

8.「鼻と目が見える」コレポン

2014/10/06 10:55 に Sae Goto が投稿

今日は台風ですね。朝からテレビもずっと台風ニュースです。交通機関も運休や遅延があり、通勤しなければならない方や、キャンセルできない出張がある方、本当に大変です。私も、もしもの場合に備え、ラジオや懐中電灯の電池、蝋燭やお水も確認しました。

さて、こんな自然災害の時には脆弱さが露呈してしまうITツールではありますが、弊社も平時には活用させていただいています。最近よく使うのが、LINEとビデオチャットです。通信料が無料である、という経済的な理由もありますが、やはり高い利便性が魅力です。コンサルタントや中小企業診断士は、文章を読書きし、ビジネスレターを書くことに慣れています。それは、文章のインプット&アウトプットのプロフェッショナル・レベルを求められているから当然のこと。でも、クライアントの方は、文章の読書きとは違う部分で専門性をお持ちなので、必ずしもメールによるコレポンが最適とは言えません。

また、一般的にもそうですが、なんだか小難しいことは、説明書を読むよりは、誰かに口頭で教えてもらった方が、すっと頭に入る、そんな経験もありますよね。そんなとき、LINEのボイスメールで連絡を頂いたり、インターネットのビデオチャットを使ってお話をさせていただいたりすると、クライアントさまの方から、コンサルタントに対してアウトプットしやすいのか、非常に具体的に、また親密にお話いただけます。

もちろん現場に直行して、雰囲気も感じながらお話することは大事ですが、誰でもいつも時間がある訳ではありませんし、移動の時間もかかります。そんなとき、ちょっと10分程顔見て相談したい!がインターネットで解決できれば、こんな便利なものはありません。


中国語でも「有鼻子有眼」(ヨウ・ビー・ズ・ヨウ・イェン)といって、物事や話が具体的な様子を形容するのに、「鼻と目がある」と表現します。チアーマンサポートでは、「メールも便利だけど、どうやって書いたらいいのか…」というクライアントさまには、そんな「鼻と目がある」ツールを使って、好評いただいております!さて、これを書いている途中も雨と風の音が物凄いです。みなさま、どうかお気を付け下さい。

有鼻子有眼 [you3 bi2 zi you3 yan3]

7.助手さんは両方で?

2014/09/29 10:27 に Sae Goto が投稿

弊社も昨月末で第一期が終わりました。今、決算の最終数値を確定しているところです。…といっても、弊社の事業計画上、第一期と第二期の二年間は、F/S(フィージビリティ・スタディ)期間、つまり、経営支援「事業」として今後展開していくにあたり、どんなニーズ(の可能性)が市場にあるのか、今、何となく構想している事業が実現可能なのか…などのポイントを調査し、試行し、そして今後の計画を立てていく、そんな準備期間に充てているので、収益がでる仕組みにはなっていないのです。(多少の言い訳!?)

そんな状態ではありますが、やはり株式会社として維持すべき物事は維持・メンテしつつ、新しいものにチャレンジしたり、ヒヤリングしたり…という作業は、なかなか平準化できるものではありません。誰もが一度は経験したことがあることだと思いますが、暇なときは思いっきり暇なのに、何か一つ仕事が入ると、何もかも一度に忙しい時期がやってきてしまうのです。

チアーマンサポートもまだ、「一人会社」であり、知人やお客様で「一人会社」の方も多くおられますが、一人でやれる気楽さもありながら、一度に仕事や作業が重なってきたときでも何とかして一人で解決せねばならないという苦しさもあります。そんな時は、ほんと、そんな時「だけ」有能な助手がいたらな~(それも格安で)などと、都合のいいことを考えたりするものです。

都合のいい妄想を始めたついでに、面白い中国語を紹介します。

「左右手(ズゥオ・ヨウ・ショウ)」

左・右・手?これで、実は有能な「助手」の意味なんです。日本語ではよく、「彼は社長の『右腕』だ。」などと表現しますが、右手だけ。中国語では右と左の手、ですから、正に両腕となって、社長の代わりに物凄い勢いで働いてくれる、そんなイメージがしませんか?

最近、弊社では、やはり中国関係のお仕事も増えてきました。ということは、お仕事をお願いするとすれば、やはり日本人「右腕」よりも、中国の「左右手さん」にお願いしたほうが、バリバリ働いてくださるでしょうか!?いや、当面、自分の両手をしっかり動かすことにします!

左右手 [zuo3 you4 shou3]

6.新鮮なモノを食べましょう!

2014/09/22 20:39 に Sae Goto が投稿

先週、このコラムを更新していませんでした。なんでかな~と、カレンダーを見てみると、敬老の日で祝日。と、いうことで、敬老の「老」の字に因んだことを少し書いてみます。

日本語で「老」が示す意味は…ほぼ「年齢が大きい」という意味に集約されています。一方中国語の場合の意味は非常に広汎。基本的には時間的に長い、大きい、という意味なのですが、日本語のイメージと違うのは、「経験豊富」とか、「年齢を重ねた方への尊敬」のニュアンスも込められているからでしょう。例えば、「○○さん」の「さん」にあたる部分で、「老○○」というように。

年齢を表す以外にも、形容詞の度合いを増幅する副詞的にも使われ、「非常に(形容詞)」という意味にもなりますし、繰返しを意味するときも「老地方(いつもの場所)」と表現したりします。ちょっと意外なのが、一番上の子を意味する「老大」、二番目の子を意味する「老二」など、小さい子供に対しても「老」の字を使うことです。

さて、「老」の字の意味を広げておいて、また戻します。今日ご紹介するのは日本語と同じ「老」が「古臭い」という、マイナスイメージを持つ「吃老本」ということばです。「吃」とは「喫」の簡略体で、「食べる」の意。この場合の「本」は中国語で「成本」等と表現される原価や元手、という意味ですが、昔取った杵柄だけで食べていく、新たに勉強したり学んだりすることを怠る、ということを意味します。

私自身「吃老本」の反省をしたのが、シンガポールに二年住んだ時の事。そこでは中国語も英語も公用語なので、私はどちらかで会話に詰まるともう片方へ、と逃げていました。そのため、今まで勉強してきた英語と中国語以上のものを、何一つ会得できなかったのです。これが上海に引っ越すことになった時、一番残念で、悔しい思いをしたこと。そこで上海に移ると直ぐに英語と中国語を習い、外国語の奥深さを改めて感じていました。

中小企業診断士の資格も5年で更新するときには、実務を一定時間以上こなしていることと、更新研修を5回受講していることが求められますが、やはり、時は流れ、人も社会も変わっていきます。確かに受験勉強は大変でしたが、合格したら終わりでないな…というのは今も感じますし、多分どの職業でもそうなのだと思います。

もちろん、年を重ねれば、記憶力も落ちます。でも、学ぶ姿勢を止めると、以前覚えた知識も劣化するし、ボロボロと頭の中から落ちて行ってしまうような気がするのです。最近また少し勉強していることがあるのですが、正直できるかどうか不安です。でもやっぱり、他人(家族も含め!)に「がんばろう!」という立場の私が上を目指すことを止めたらいけないかな…と、色んな方々に刺激をいただきつつ、考える次第です。うん、やっぱり、やらないと!ですね。ぼちぼちでも良いから。


吃老本 [chi1 lao3 ben3]

5.自然体の社会参画環境を

2014/09/08 10:25 に Sae Goto が投稿

最近よく耳にする安倍新内閣のニュース、5人の女性閣僚の登用も、かなり注目されていますね。女性の社会参加については、日本が一般的に他国より遅れていることから、女性管理職、就労女性増加の施策が実施され、女性のための起業や就業相談も、本当にアチコチで見られるようになりました。また、私の所属する東京都中小企業診断士協会中央支部も女性の支部長となり、執行委員にも随分女性診断士が登用されました。(はい、私もです。)

このような行政など「上」からの仕組み作り、雰囲気作りも非常に大切ですが、個々の女性たち、とくに子育て層(そしてそのパートナーや職場環境)の意識や努力、この辺りが成功のカギになっているような気がします。

社会制度のみならず、仕事も、生活習慣も、家のレイアウトも、何かを「変える」のはとにかくパワーが必要です。だから、何となく現状に文句を言いながらも、とりあえず現状維持で…に落ち着いちゃうことが多いんですよね、人間って。でも、やはり女性の社会参画は今後の高齢化社会を考えると、どんどん推進すべき事案。でも、でも、でも…できないことはできない。子育てで忙しい、手伝ってくれる人がいない、残業ができない…。

私はやはり、男女の違いは違いとして、受け留めるしかないと思っています。育メンや主夫の増加は大歓迎ですが、「主たる役割」とか「スペックとして持つ適性」みたいなのは、男女それぞれあって(また、個人差も大いにあって)、その違いを自然体として受け入れられる社会…が理想なのかなぁ…と思っています。私は会社員時代、子供が小さい頃は時短勤務でした。若手中心のベンチャー企業ながら、「もう帰る時間ですよ」「お子さんが保育園で待ってますよ」と、声を掛けて頂けることが涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。先に退社することが申し訳ない、だからまた翌日も頑張らないと!!という気持ちが、仕事の効率の向上や、互いへの思いやり等、良い方向に働いていたのかもしれません。子育て世代だけの話ではなく、介護世代、仕事をする上で様々な障害を持つ人も、各々にできる事をプラスに活かす個々の努力と、社会の柔軟な受入れが大事なんですね。きっと。

そうそう、女性の社会進出の話になると、女子が強くなるとか、男性が弱体化しているような言い方をする方も居ますが、中国でも日本のドラマから「草食男」「肉食女」という言葉が使われるそうですよ。なんとなく、大陸の方では日本からみると、女性が強いのが羨ましいところでもあるのですが、やはり現地でも「草食男」という言葉の方が、後者よりもよく使われるらしいです!!


草食男/肉食女 [cao3 shi2 nan2/ rou4 shi2 nv3]

4.会社設立、一周年です。

2014/09/01 10:07 に Sae Goto が投稿

9月になりましたね。当社設立日は9月4日、もうすぐ設立一周年です。そこで、今日はこの一年の振り返りと、次の一年への抱負を書いてみようと思います。

まず、起業にあたっては、会社によって事業の進み具合はまちまちだと思いますが、当社の場合は、「F/S会社として」の起業、つまり、何ができるのか、事業としてやっていけのか、調査・精査をするための株式会社作りでした。というのは、

・中小企業経営者さんの支援をしたい

・自己裁量で仕事をしたい

・シンガポールと中国で海外展開支援した経験を活かし、伸ばしたい

という、自分の希望・意思が、市場に会っているのか、事業としてやっていけるのか、自分自身やパートナーからは色んなアイディアがあったけれど、それが果たして形になるのか、実際挑戦してみたかったのです。そして、初めは小さくとも、将来大きなビジネスにつなげるためには、個人の名前で動くよりは、株式会社を作り、その名前で活動したほうが、社会的にも信頼してもらえ、あまり考えたくはないですが、事業を失敗したときの出口戦略としても有効なのではないかと考えました。

あっという間の一年でしたが、やはり今は株式会社にして本当に良かったと思います。ある程度の事業の目処がついてからの起業という考え方もありますが、会社を設立する際は法務・税務関連の公的手続きの他、事務・営業ツールの準備で何かと時間と労力を取られるものです。初めにそういった作業をしておき、あとは事業の調査・運営に集中できるのは、私にとっては良かったところです。また株式会社にすると、社員の有無にかかわらず、私は社長です。ホームページである程度情報を公開することで、飛び込みアポや面談も非常に順調でした。お陰様で、この一年間で、多くの方を巡り合え、また実際に支援ビジネスをさせていただくことにもなりました。

さて、二年目ですが、一年目に引き続き「F/S会社」としての位置づけで、売上拡大というよりは、事業調査・精査を中心に行いたいと考えています。ただ、一年目に開始できた、私自身の強みでもある実務・実ビジネスに近いところでの支援事業は、より強化いたします。実際に商流に入って利益を生むことをお手伝いし、そこから問題抽出・改善提案を、一緒に動きながら行うこと、「理論→実現」のアドバイスだけでなく、「実施→理論→実現」と、初めの一歩も一緒に歩めるコンサルタントになることで、より現実に近い経営改善のご提案をできるよう、自己研鑽していきたいと思います。

实事求是 [shi2 shi4 qiu2 shi4]…事実・現実から、真実を求めること

今年一年も、何卒宜しくお願い申し上げます。

3.寄り添うプロセスが大切。

2014/08/25 15:12 に Sae Goto が投稿

実は、今、弊社の中国パートナーのうちの一人、女性経営者さんが東京におられるのですが、お会いすることができなくて申し訳なく思っています。というのは、彼女も小さなお子さんがおられ、今回の来日は出張ではなく私用。しかも中国国内にいても、普段あちこち出張で飛び回っているからか、日本ではお子さんのリクエストでアチコチ振り回されているとか。私の方もまだ学休期間にあり、やはり時間を互いに合わせるのが難しかったり、仕事の話をする間の子供達(しかも異言語!)のケアの問題があったり…という具合。

仕方ないですよね、仕事を充実したものにするためには、プライベートの、ゆっくり流れる時間も大切にしないと。そういえば、その彼女に、私が上海で骨折したときに「後藤さん、中国ではね、『伤筋骨动一百天(傷筋骨動一百天)』といって、骨を折ったら100日ゆっくりしなければならないのよ。」と言われたことを思い出しました。実際、骨がくっつくまでにはもう少し短い期間で済んだかもしれませんが、固定していたギプスを外したあとの筋肉のリハビリなどを含めると、100日では足りなかったかもしれません。要は骨を折っちゃったら、じっくり治しなさい、ということなんですよね。

なんでもかんでも、急いで結果を求める時代だから、かもしれませんが、こんな言葉を聞くと、すこし気持ちが落ち着くような気がします。もちろん「100日」というのは、科学的に根拠のある時間ではなく、「長い時間」の比喩だと思います。中国語では、「ご多忙の処」というのを「百忙之中」とも言いますからね。そんな言葉を彼女から言われたこと、そのビジネス・ウーマンの彼女が今は夏休み中の子供にべったりなことから、子育ても、ビジネスも、そして骨折治癒も、時間をかけるべきこと、なんて思っています。

もちろん、結果も大事です。でも良い結果はやはり、普段のコツコツの、気が遠くなるような積み上げのその結果、という場合が殆どでしょう。だとすれば、親やコンサルタントは、ちょっと向こうの、その向こうの将来の為に、今は寄り添ってプロセスを見守るのが重要な役目なのかな…なんて考えてみた、夏の終わりです。


伤筋骨动一百天 [shang1 jin1 gu3 dong4 yi4 bai3 tian1]

2.チャーハンって、冷めたご飯から作りますが…

2014/08/18 23:53 に Sae Goto が投稿

もう10年以上前の話ですが、私は商社に6年半ほど、勤務していました。大学卒業後、日本語教師しかしていなかった私が、不思議なご縁で東京の商社で貿易の業務を担当することになりました。

「貿易」なんてことば、今はなんとなく古めかしいような気がしますが、ちょうど私が担当し始めた時も、「別に貿易なんて、商社じゃなくても、いいんじゃない?」と言われ始めた頃でした。昔、インターネットもなくて、外国に電話をかけたり、外国に駐在所を置いたりすることも一大事だったころ、商社こそが国際ビジネスの最先端をいく、スターのような存在でしたが、海外旅行もお手軽になり、国際通信もそれほど特別ではなくなってくると、貿易の中での商社の存在意義がだんだん薄れてきました。

私も初め、貿易担当になったのは、中国語とロシア語ができたからだったのですが、もう中国・ロシアビジネスも会社の方針でやらないから、別の資格を取るように言われたほどです。(医療ビジネスの部署に配属になり、エックス線作業主任の勉強をし、二度目になんとか合格しました…)

ということで、私にとって「貿易」は、少し昔の話のように思えてならないのですが、そんな私が、また最近その貿易を始めました。それは、京都府上海ビジネスサポートセンターで、中国進出や中国でのビジネス展開に関する相談業務に従事し、まだまだ「貿易」をサポートする余地がある、と確信したからです。

これほど「グローバル化」が叫ばれていても、中小企業にはノウハウやそれに従事する人員も不足しているところが多く、まずどうやってこれを外国に送るの?というところから始まる企業さんも珍しくはありません。更に、これだけインターネットが発達していて、自由にコレポンはできるのに、まだまだ金融機関の海外送金のシステムが普及していなかったり、物凄い手数料だったりで、小規模事業者の海外進出はハードルが高いのです。

今回、ご縁あって、その貿易部分をサポートさせていただくことになりましたが、昔やったことを、今再現するだけなら、中国語でいうところの「炒冷飯(チャオ・ラン・ファン)」、冷えたご飯を温めなおしただけ、ということになります。しかし当社も「小規模事業者」として実務に携わり、経験を積ませていただいて、「よりスマートに」海外進出していただける方法を実例から抽出していきたいと思います。


炒冷饭 [chao3 leng3 fan4]

1.勝算は、竹!?

2014/07/28 23:29 に Sae Goto が投稿

たとえば、経営者さんのお話をお伺いしていても、所謂「経営理念」というモノをお持ちなんだな~と、ひしひしと感じるときがあります。経営理念なんていうと、ちょっと堅苦しいので、最近の言葉では「ブレてない」とでもいいましょうか、あるいはベースとなるような、迷った時には判断の基準になるような拠り所がある、といいましょうか。これは何事においても本当に大事で、特に子育て中の私は、親の矛盾をすかさず突いてくる子供に対し、どうやって「その場しのぎ」でない、次回の説明に困らない対応するか…その「基準」の必要性と重要性を痛い程感じています。

もともと世の中、思った通りなんていかないもので、私は常々(野球観戦が好きなもので…)一流打者で3割なんだから、平凡な私たちは2割しか成功しない、なんて言いまわっています。だからこそ失敗したり上手くいかなかったりする8割のケースで、どう立ち回るか、どう自分の気持ちをコントロールするかっていう「行動の基準」、案外しょっちゅう必要なんだな、ってことにならないでしょうか?

じゃあ、「どうせ上手くいかないんだから、行き当たりばったりでやってみよう!」というのはどうでしょう。目標をたてないので、ノルマ感もないし、結構気楽かもしれません。でも私は苦手なんですよ。(たまには、そういうのも良い、ってこともありますけど…)なぜなら、初めにシナリオがないので、それが成功なのか、失敗なのか分からないし、シナリオ通りでなくても逆に自分が意図してない、思いがけない成功かもしれないし。まるっきり行き当たりばったりだと、振り返って反省も評価もできないんですね。

中国語の「胸有成竹」、胸の中に一本の竹がまっすぐ貫いている様子、目に浮かびませんか?この竹こそが、成功シナリオであったり、価値基準であったりするワケですよね。それが、すっと一本通っていて、いつだって、どんな時だった拠り所にできる。日本語に訳すときには「自信がある」とも言われますが、自信があったって、8割は失敗するんです(あくまで私流の考えですが)。でも、残り2割に賭ける成功シナリオと自分なりの「ブレない何か」があれば、竹のようにす~っと、伸びて行けるんじゃないかな…なんて思います。皆さんも、心の中に、竹、育ててみませんか?できればどんな事態にも適応できるような、柔軟性のある、撓る(しなる)竹を、ね。


胸有成竹 [xiong1 you3 cheng2 zhu2]



177.六然その(2) やわらかな光のように

明代の学者、崔銑さんの説かれた「六然訓」、今週はその2、「処人藹然(チュー・レン・アイ・ラン)」です。先週は、「自処超然(ズー・チュー・チャオ・ラン)」、自分に対しては淡々とそして客観視して、ということでしたが、その反対に、他人に対してはどうか、ということです。

「処人」…人に対しては、人を処するに当たっては…

「藹然」…??さて、どんな状態でいよ、というのでしょう?

そもそも「藹(あい)」という漢字、書けますか??(私はきっと無理です)でも、「わきあいあい」だとすれば変換も「和気藹々」と直ぐ出てきてくれます。そう、その「あい」、相手が穏やかで、気持ちよくいられるような、そんな状態です。

私達、経営コンサルタントのお仕事は、人に向き合い、人がやる気を出して、効率的な中にも最高の仕事をしていただけるような環境作りのお手伝い。人を動かすには、力づくで旅人のマントを剥がそうとする北風ではなく、自発的にマントを脱いでもらえるよう、やわらかな光でうながす太陽のようでありたいものですね。それが正に、「処人藹然」!!強制させられたものは、即できるかもしれませんが、続きません。永く続く企業活動のためには、無理せず環境に適応しながら継続していけるシステムでなければ。

では、そんなにいつも穏やかでいられるか?というと、決してそうではありません。いやむしろ、事業再生や経営革新となると、社内外の皆さんとの調整が必要で、いろんな考え、立場の方々との間に挟まって、また時には眠れなくなるような問題にもぶち当たって、穏やかでなんていられない!ことも少なくありません。

でも!!それは私達のサービス品質向上のため、トレーニングが大切。経営者がイライラされてしまうのを、同じようにイライラしてしまっていては次から相談していただけなくなりますよね。経営者のイライラ、不安、問題を、クッションのように受け止め、新たなチャレンジを気持ちよくしていっていただけるような、そんなコンサルタントになれるよう、また明日からも、チャレンジです!

处人蔼然 [chu4 ren2 ai3 ran2] 2018/09/25